第85話

 高い天井付近を、雷のマナの塊らしき球体がいくつも浮遊している。雷帝の館の中に明かりは無く、それらの塊が発する雷光だけが視界を照らす全てだった。
「いかにもって感じだな」
 わくわくした表情を隠しもしないで、カインは腕をぐるぐると回しながら館の中へと踏み入った。
「ひとつ言っておきますが、カイン」
 カインに続いて館へと入って、セリオルは眼鏡の位置を直しながら呼びかけた。カインは間の抜けた返事をして振り返る。
「あんだい?」
「ラムウに出会ったとしても、戦いを挑むなんてことはしないでくださいね」
「……え? なんで?」
 ぽかんと口を開け、不思議そうな顔でそう言うカインに、セリオルは頭を抱えた。やはりそうだった。カインはさきほど見せ付けられたラムウの恐るべき力に、欠片も恐れを感じていない。いわゆる、やる気マンマンというやつだった。
「私たちの目的は、ラムウと戦うことではないでしょう」
「あれ? そうだっけ?」
 すっかり目的を見失っているカインに、アーネスが呆れたような溜め息とともにこう言った。
「ラムウに協力を得ることでしょう? 私たちの目的は」
「おう。そうだな。でもそのために戦うんじゃねえの? マキナでサラマンダーが言ってたよな」
「まだ戦いを課せられると決まったわけではないでしょう」
 抗議めいた口調のカインに、セリオルが鋭い指摘をした。確かに、と不満げに呟いて、カインは唇を尖らせる。
「ラムウと戦うって、正気か?」
「相手はあの雷帝だぞ。“雷轟”を起こすっていう」
 レオンとセリノは驚いた様子だった。アイユーヴの民なら当然だろう。ラムウは遥か昔からアイユーヴの民の信仰を集めてきた幻獣だ。その力の大きさと強さを、彼らはよく知っている。時折“雷轟”が起こる度、彼らは雷帝の怒りを恐れて祈りを捧げてきたのだ。
「できればそうはしたくないさ」
 館の内部を慎重に観察しながら、フェリオはふたりに答えた。
「ただ、サラマンダーがそう言ったのも事実だ。もし、協力を得るために戦うことを求められたら、仕方が無い」
 彼の口調は淡々としていて、そこには恐怖や戸惑いの感情は見当たらなかった。
「幻獣と戦うなんてな……」
 彼らの後ろで呟いたシモンの声は複雑だった。幼い頃から幻獣を身近な神として奉ってきた彼らにとってみれば、幻獣と戦うということ自体が考えられないことだった。
「戦いたいわけじゃない。でも、ラムウの協力が得られなかったら意味が無いんだ」
 確固たる決意を感じさせるその声に、ユーヴ族の3人はそれ以上何も言わなかった。彼らにしても、予想していなかったわけではない。ただ、実際に戦うという言葉を聞かされると、やはり回避できないものかという気持ちが頭をもたげてくる。
 彼らは理解している。サリナたちは、それが可能かどうかは別として、ラムウの命を奪うつもりは全く無いだろう。ただ、ラムウが自らの力を貸す者として、サリナたちを試そうとした時にはそれに応えなければならない。そういうことだろう。
「とはいえ、な……」
 シモンは雷の塊が浮遊する天井を見上げて、小さく溜め息をつく。幻獣ラムウと、サリナたちとの戦い。それが起こったとして、彼らはサリナたちとともに戦うことが出来るだろうか。
「フェリオたちは、ああ言ってますけど――」
 3人の後ろから声が聞こえた。サリナだった。
「私は、怖くて仕方ないです。あんなに凄い力を持ってるなんて……戦いになったら、どうしようって」
 振り返ったところ、入り口からすぐの場所に立つ少女は、しかしその言葉とは裏腹に、微笑んでいた。怖い、恐ろしいという感情は感じさせない顔だった。
「サリナ……」
 知らぬ間に、シモンは彼女の名を呼んでいた。サリナはそれに答えるように、小さく首を横に傾けた。それは、3人に語りかけようとしているような仕草だった。
「でも、私、大丈夫です。皆がいれば、きっと大丈夫です」
 そう言うサリナに、シモンたちは何も言葉を投げかけることが出来なかった。彼らは、ただ小柄なこの少女の強い心が、幻獣の力に抗することのできるものであるようにと願った。
 雷のマナが充満している。サリナは待っていてくれたシスララとクロイスとともに、前を行くセリオルたちに続く。
 館と呼ばれるだけあって、内部には質の良さそうな調度が揃えられている。幻獣が人間の道具を使って生活しているとは考えにくかったが、何らかの意図を持って置かれているのかもしれなかった。
 だが、館の内部は同時に、魔物の巣窟でもあった。その全てアルカナ族で、プリンや、ボムと呼ばれる自爆技を得意とする魔物、またドールと通称される、命を持つ巨大な陶製の身体と横長の溝穴のような明滅する目を持つ、人形のような魔物などが徘徊していた。
 不思議なことに、魔物が多く棲息しているのも関わらず、館内の調度品はいずれも傷ひとつ無く、汚れてもいなかった。戦闘の際にセリオルの黒魔法やカインの青魔法が着弾したこともあったが、館内部には傷が一切つかなかった。
「これ、やっぱり幻獣の力ですよね」
 館内の部屋のひとつで雷の力を帯びたボムが自爆し、大爆発を起こした。アーネスが騎士の紋章の力で防いでくれて難を逃れたが、危険な爆発だったにも関わらず、やはり内部は無傷だ。たった今までボムが浮かんでいた空間を見つめて、サリナはセリオルに尋ねた。
「おそらく。ただ、私にも詳しいことはわかりません」
「やはり人智を超えた力に守られているのですね」
 かぶりを振るセリオルに向かって、シスララがそう言った。それは問いかけでも確認でもなく、ただシスララの意見が述べられただけだったのだが、セリオルはそれにどう答えていいのかわからず、曖昧に頷くに留まった。
「戸惑ってるわね、セリオル」
「ああ。くっくっく。おもしれ」
 武器をしまったカインとアーネスが、ふたりの様子を見てにやにやしている。
「おい、気ぃ抜くなよ! また来たぜ!」
 地のマナストーンをセットしたバタフライエッジを構えて、クロイスが仲間たちに警告した。さっと緊張が走る。
 廊下からドールの大群がなだれ込んできた。表情の無い不気味な人形どもは、雷の力を帯びた大きな拳を振り上げて襲いかかってくる。
 サリナは鳳龍棍を構え、その場から素早く離れてドールの攻撃を回避した。魔物の拳は床を強かに叩いた。石造りの床は、しかしやはり傷ひとつ負わない。魔物は拳の痛みなど感じぬとでも言うかのように、ゆっくりと身体を起こしてサリナと対峙した。
 サリナはその広い部屋の中に視線を走らせた。魔物は全部で8体。サリナたちそれぞれひとりにつき1体と、レオンとセリノに1体が相対している。
 たぶん、大丈夫。さきほどから何度か戦ったこの魔物の強さと仲間たちの力を考えて、サリナはそう判断した。
 ドールは拳だけでなく、拳を手首から切り離して飛ばしたり、雷のマナを光線状にして発射したりという攻撃も行ってきた。いずれもまともに受ければ大きな痛手を被るだろう。
 サリナはそれらの攻撃を素早い動きで回避し、三節棍に変化させた鳳龍棍を巧みに操って、魔物の脚部を繰り返し攻撃した。マナは解放していない。この先何があるかわからないのだ。体力を消耗する力は温存したかった。
 何度目かの攻撃で、彼女は魔物の膝にあたる箇所の破壊に成功した。魔物が動きを奪われ、床に倒れる。人間のように器用に関節を操ることの出来ないらしい人形は、いとも簡単に機動力を失った。
 裂帛の気合とともに、サリナは跳躍して鳳龍棍を人形の胴にたたきつけた。びしりと音を立てて、人形の胴に穴が空いた。目の明滅が止まり、魔物のマナが抜ける。
「ふう」
 額の汗を拭って、サリナは仲間たちの様子を窺った。ほんの僅かな時間の差はあれど、皆無事に戦闘を終えていた。
「なんだかやりにくいですね、無機的で」
 今しがた貫いたドールから槍を引き抜いて、シスララは困惑気味に言った。ソレイユも困ったような声だ。
「これまで出会わなかった敵だからな。生き物らしくないし」
 長銃の銃口からたなびく煙をふっと吹いて、フェリオは立ち上がった。威力の高いこの銃を扱う時は、腰を沈めることで衝撃を殺すのだ。
「それより、問題はどこに進めばいいのか全くわからないことです」
 雷帝の館は迷宮ではなく、まさに巨大な館だった。進むと言っても全ての廊下は玄関のあった広間に集まるようになっており、どこを歩いても結局元の場所へ戻ってしまう。
「確かに、このままだとラムウに会う前に体力もマナも底をつくわね」
 アーネスはルーンブレイドをリストレインの鞘にしまう。彼女はシモンたちを見たが、彼らにしてもどこをどう進めば良いのか、見当はつかないようだった。
「ひとまず、広間に戻りましょうか。あそこのほうが魔物が出ても戦いやすいでしょう」
 現状を少しでも良くするため、セリオルはそう提案した。頷いて、サリナたちは部屋を出る。
 広間に戻ったものの、次なる道はやはり見つからなかった。サリナたちは頭を抱えた。
「どうしましょう。もう全部調べましたよね」
 困った声のサリナに、しかし誰も答えを持たなかった。彼らは戦闘の疲れを癒すため、床に座り込んだ。
 サリナは広間の高い天井を見上げた。雷のマナがいくつも浮遊している。じっと観察していて、彼女はあることに気がついた。浮遊するマナの塊は、一定の規則で動いていた。しかしそれは幾何学的な軌跡を描いているわけではなく、曲線や直線を混ぜたいくつかの、ばらばらの模様を描いていた。
「引っかかるのは、階段が見当たらないことです」
 セリオルの言葉に、仲間たちからそういえば、と声があがる。
 雷帝の館は、外から見ればかなり大きな建造物だった。確か3階建てに見えたのだ。しかし魔物との戦闘を交えながらの探索で、彼らはこの館の中に、階段を発見することが出来なかった。
「でも幻獣の住処だからなあ。俺らの常識は当てはまらねえんじゃね?」
 カインがそう推測したが、しかしセリオルは首を横に振る。
「ここをラムウを造ったのだとしたら、相当人間の暮らしを知った上でのはずです。でなければこれだけ我々の感覚に沿った館にはならないでしょう」
「なるほどな。だから階段が無いのはおかしいってことか」
 自分の言葉を補完する形で考えを口にしたフェリオに、セリオルは頷いた。そう、彼は考えていた。ラムウはおそらく、階段を隠している。意図を持って、彼らに見つけられないようにしている。それはつまり、彼らの侵入をラムウが把握していることを意味していた。
「ラムウは、我々を試しているのでしょう」
 顎に手を当てて、セリオルはそう言った。クロイスが不満げに鼻を鳴らす。
「どうやったら階段が見つかるかしらね」
 アーネスはセリオルの考えを察知した。ラムウが隠しているのだとすれば、上階に向かう階段こそが、幻獣の許へ続く道であるに違い無い。
「悪いが、俺たちには何もわからない」
 ユーヴ族の3人を代表するかたちで、レオンがそう告げた。彼らは元々、幻獣崇拝をしてはいても、マナを扱うこととは無縁の生活をしてきたのだ。そういったことは村の呪術師や族長たちの仕事だった。戦士である彼らには、幻獣がどう考えるかなど、想像もつかなかった。
「しかしラムウも意地が悪いな。いや、神様ってのはそんなものか」
 シモンがそう言うと、レオンとセリノが意外そうな顔をした。幻獣のことを、シモンが悪く言ったことに驚いたのだろう。その顔を見て、シモンも自分が口にしたことに気づいたようだった。
「いや、あれだな。サリナたちがあまりに幻獣と近い関係だから、うつっちまったかな」
 そう言って、シモンは頭を掻いた。
「サリナ、何を見ているの?」
「ひあっ」
 仲間たちの会話を聞きながら天井のマナを目で追いかけていたサリナは、突然シスララから声を掛けられて飛び上がった。思わず変な声が出てしまったことを自覚し、口を手で押さえる。しかし時は既に遅かった。
「ひゃひゃひゃひゃひゃ」
「なあに気ぃ抜いてんだよ!」
 大笑いするカインとシモンに赤面し、クロイスに叱られ、サリナは縮こまった。それを起こしてしまったシスララは、おろおろとまごついた。
「あの、ごめんなさい、サリナ。驚かせてしまって」
 申し訳なさそうなシスララに、サリナは両手を振る。
「ううん、シスララは悪くないよ!」
 必死でシスララをかばうサリナに、今度はフェリオが声をかけた。
「それで、何を見てたんだ?」
「うん、あの、あれ」
 顔が熱くなっているのをなんとかしようと焦りつつ、サリナは天井を見上げて指を差した。仲間たちは揃ってその方向を見上げた。
「あれって……あの、雷のマナ?」
 不思議そうな口調のアーネスに、サリナはこくりと頷いて答えた。
「なぜあんなものを?」
 すぐに顔を下ろしたレオンが、やはり不思議そうに尋ねてきた。サリナは、それほど深い意図があったわけではなかったので、返答に窮した。
「あの、その……そんなに意味は無いんです。ただ、不思議な動きをしてるなあって思って」
「確かに、規則正しく同じ動きを繰り返してますね」
 シスララは手を上げ、雷のマナの動きを指でなぞった。一定の動きを繰り返した後、マナの塊は元の位置へ戻り、同じ動きを繰り返している。
「あの、ごめんなさい。ほんとに意味は無かったんです」
 自分の何気ない行動が思いがけず仲間たちの注目を集めたことに、サリナは気恥ずかしさを覚えた。彼女は仲間たちに話を戻してほしいと呼びかけたが、仲間たちもすっかり気がそっちに向いてしまったようだった。特に、セリオルはじっと目を凝らし、真剣な面持ちでマナの動きを見つめていた。
「――皆、あの雷のマナの動きを覚えてください」
 しばらくの沈黙の後、セリオルは仲間たちにそう頼んだ。仲間たちはすぐには彼の意図を理解出来ず、首を傾げた。その仲間たちに向けて、セリオルは更に言葉を足す。
「サリナが見つけてくれました。あれは、階段の位置を示す言葉です。魔法文字です、あれは」
 しん、と。一瞬の沈黙が広がる。
「よくやりましたね、サリナ」
 顔を下ろし、セリオルはサリナに微笑みかけた。ようやく頭が追いつき、サリナはまたしても顔を赤くした。
「すげえじゃねえの、サリナ! よく見つけたなあ!」
「まあ、見つけようとして見つけたわけじゃないんでしょうけど。でも、助かったわね」
「ああ。サリナ以外誰も意識してなかったんだからな」
「あ、あの、私そんな、頑張ったわけじゃないのに」
 口々に自分を褒める仲間たちに、サリナは困ってしまった。
「ま、いいじゃないか。結果オーライってやつさ」
 サリナの肩にぽんと手を置き、シモンはそう言ってにやりとしてみせた。その言葉に、サリナはどこか申し訳なく思いながらも、こくりと頷いた。
 セリオルは仲間たちが手分けして覚えた魔法文字を解読した。それは多少癖があったものの、それほど難しい作業ではなかった。
「……わかりました」
 顔を上げ、そう言ったセリオルの顔には、しかしどこか戸惑いの表情が浮かんでいた。
「なんだよなんだよ、早く言えよ」
「何か気になることでもあんのか?」
 カインとクロイスのにぎやかコンビが、早く早くと答えを急かす。しかしセリオルは目を閉じ、眉間にしわを寄せている。彼はそこに人差し指を当てて、こう言った。
「こう読む以外考えられないんですが……しかし……」
「なーんだよ。早く言えってのに!」
「ったく焦らしてばっかで、悪いやつだなー」
「そうだぞ、セリオル。男ならはっきりせい」
 にぎやかコンビにシモンが加わり、にぎやかトリオとなった3人から、セリオルは次々に言葉を浴びせられる。サリナとシスララは笑い、フェリオとアーネスは溜め息をつき、レオンとセリノは笑いを堪えている。
「……じゃあ、言いますよ」
 なぜか恥ずかしそうな様子で、セリオルは咳払いをした。カイン、クロイス、シモンの3人が身を乗り出し、ごくりと生唾を飲み込む。
「……2階に上がる階段は、実はここにあったんだよーん」
 しじまが広間を支配した。徹底的に静まり返ったその場所で、雷のマナがパチパチと鳴るのと、外の雷鳴が響いてくる音だけが存在した。まるで時が止まったようだった。セリオルの顔は見る間に真紅に染まり、まるでサリナがアシミレイトしたかのようだった。
 静寂を破ったのは、フェリオだった。
「よーん、か」
 平坦なその声が、限界をもたらした。
「うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ! 何言ってんだセリオルー!」
「ぎゃははははは! ひー! 死ぬー!」
「あはははは! ご、ごめんなさいセルオルさん、でも、あの、あははははは!」
「セ、セリオル、君はそんなにお茶目なやつだったのか! 俺は誤解してたよ、悪かった! わはははは!」
 我慢出来ずに笑い転げる仲間たちに、セリオルは顔を赤くして耐え忍んだ。彼には主張したい言葉があったが、今それを口にしたところで、彼らの笑いを助長するだけだ。ついにはアーネスやシスララ、レオンにセリノまで笑い始め、彼はただ静かに、皆の沈静化するのを待った。