第9話

 朝の光と共に森から姿を現した集団を発見したのは、ユンラン村自警団の若い哨戒担当者だった。村に向かってぞろぞろと、隠れる様子も見せず一直線に向かってくる集団は、彼の度肝を抜いた。望遠鏡から目を離し、彼は物見やぐらの鐘を激しく鳴らした。
「敵襲ーーーーー!! 野盗が攻めて来たぞーーーー!!」
 村はにわかに殺気立った。自警団員は全員完全装備で配置に就き、村の正門と裏門ががっちりと固められた。村民への伝令が村中を駆け回り、家の外に出ないようにとの注意喚起を徹底した。
 “海原の鯨亭”のマスターは、客に出すための朝食を妻とふたりで作っているところだった。彼はパンの生地をこねていた。妻はスープや卵料理のための野菜を切っている。住み込みの従業員はパンの窯に火を入れるための薪を割りに外へ出ていた。
 その従業員が、入口の扉を乱暴な音を立てて蹴破るようにして入って来た。何ごとかと見やると、従業員は薪割り用の斧を持ったまま、肩で息をしていた。
「マ、マスター、野盗が、攻めて来たって、自警団のひとが!」
 従業員の言葉を聞いて、マスターは片眉を上げた。妻が心配そうな表情で夫を見つめた。
「あなた……」
「あいつら、まさかやられたのか……?」
 マスターは従業員に聞こえないように、小声でつぶやいた。妻が小さく悲鳴を上げた。
「家から出ないようにって、自警団のひとが注意して回ってます。扉、打ち付けたほうがいいですよね」
 呼吸を整えて、従業員が提案した。マスターは少し考える様子を見せてから、従業員に頼んだ。
「わりいけど、ちょっと自警団の団長と哨戒を呼んで来てくれねえか? 俺が呼んでるって言やあ来る。嫌な顔はされるかもしれねえけどな」
 従業員は、何を言われたのかすぐには理解できなかった。マスターの口元には、何か企んでいるかのような笑みが浮かんでいるように見えた。
 村に近づいた頃、サリナたちは物々しい警備に気がついた。正門の前に何人かの武装した自警団員がいて、まるで立ちはだかるかのようにこちらを睨んでいる。物見やぐらの上では、哨戒の男がこちらに何かを向けている――どうやら弓のように、サリナには見えた。
「いやいやいや、おいおい。なんだよありゃ」
 カインがぽかんとした顔でそう言った。フェリオはげんなりした表情を見せ、セリオルは「うかつでした」とつぶやいた。
「野盗全員を引き連れて村に近づいたら、それは怪しまれますよね。ははは」
「いやあのあの、笑いごとじゃないよ」
 一行は足を止めた。にやにやし始めた野盗たちを、フェリオの睨みが凍りつかせた。慌てるサリナたちを横目に、セリオルはひとり楽観的だった。
「大丈夫ですよ。鯨亭のマスターがいるじゃないですか。彼は村の顔役なんでしょう?」
 セリオルの予想は当たった。緊迫した雰囲気はさほど続かず、すぐに男の大声によって破られた。
「待て待て待て待て! 彼らは村を救ってくれた英雄だ、正義の使者だ!」
 若干の混乱が正門付近で生じた。村から走り出てきた大声の男が、なにやら事情の説明めいたことをしているようだった。ほどなくサリナたちに武器を向けていた自警団員たちは、そろってこちらに頭を下げた。そして彼らを村へ歓迎するかのように、迎え入れる姿勢を見せたのだった。
 サリナたち4人はぽかんと口を開けてその様子を眺めた。
「英雄……?」
「せ、正義の使者……?」
「誰だ、あんなしょうもないことを言うのは」
 サリナとカインが顔を合わせて吹き出し、セリオルとフェリオは顔を合わせて苦笑した。

 サリナたちはまさしく英雄がごとき歓待を受けた。封鎖された村を抜け出したことを咎められるのではないかとサリナは危惧していたが、“海原の鯨亭”マスターの手配だったのだろう、まったくの杞憂に終わった。
 自警団の伝令はかなりのお調子者らしいと、フェリオは分析した。4人が野盗を拿捕したことを、世紀の偉業であるがごとく触れまわったようだ。自警団の詰所まで報告に向かう道すがら、目抜き通りを歩くのにサリナは恐縮してしまうほどだった。次々と商店の店主や漁師たちがやってきて、4人をもみくちゃにした。野盗たちは罵倒されていたが、
「そういえばユンランのひとたちって、野盗の被害はほとんど受けてないんじゃ?」
「まあ、いいんじゃないか。喜んでるし」
 サリナの疑問はフェリオによって無かったことにされたが、サリナも村人たちが喜んでくれるのが嬉しかったので、まあいいかと自分の中で結論付けた。詰所までずっと罵倒され続けた野盗たちが少しだけ可哀相になったが、老夫婦の荷物を床に転がしていた首領の憎らしさを思い出して、気を引き締めた。
 詰所では老夫婦がサリナたちを待っていた。野盗に荷物を奪われて財布も無かった彼らは、詰所の宿泊施設に泊まっていたのだった。荷物を持って先頭で入って来たサリナに、老夫婦が駆け寄ってきた。
「ありがとう、この恩は忘れないよ」
「本当にねえ……怖くなかったかい? 危なくなかったかい?」
「あの、大丈夫です。お荷物、無くなっているものはありませんか? フェイロンの人形はあったんですけど……」
 中を確かめて、老夫婦は顔を見合わせた。そしてサリナに向かって、「何も無くなっていないよ」と告げた。サリナはその表情に若干の違和感を覚えたが、それに言及するまでにふたりから抱きしめられてしまった。老夫婦の孫は、サリナと同じくらいの歳なのだという。とは言っても木彫りの人形をプレゼントされる年齢である。サリナはもっと小さい子なのではと思ったが、自分が実際の年齢より幼く見られることは自覚していたので黙っていた。それより涙を流して喜んでくれたことが嬉しく、サリナ自身も少しもらい涙をしてしまったのだった。
 その様子を微笑みつつ見ていたセリオルが、自警団に報告する。野盗たちはすでに引き立てられて行った。
「野盗の首領の部屋には、かなりの量の宝物が蓄えられていました。他の部屋にもあったのかもしれません。ご夫妻のお金も、ちゃんと戻ってきますよ」
 老夫婦がサリナを抱きしめたまま、驚いたようにセリオルのほうを向いた。やっぱりそうだったのかとサリナは思った。さきほどの違和感の正体は、ふたりが財布が盗まれていたことを黙っていようとしたためだったのだ。老夫婦は素直にありがとうありがとうと感謝を繰り返し、サリナの頭を撫でた。サリナは数日前に別れたばかりの祖父母を思い出して、早くも懐かしい思いを抱くのだった。
「皆さん、ユンラン村自警団を代表して、改めてお礼を申し上げます。我々が手をこまねいている間に、見事野盗を壊滅に追いやって下さったこと、ありがとうございました」
 自警団の団長がそう言って4人に頭を下げた。それに続いてその場の自警団員全員が4人にお辞儀をした。続いて彼らは、何らかの礼をさせてほしいを申し出た。金銭的なことを団長は述べたが、カインがそれを断った。
「最短スケジュールで大陸への船を出してくれないか? ロックウェルに行きたい」
 工業の街ロックウェル。スピンフォワード兄弟の家があるのだという。
「もし可能であれば、私たちも同乗させてもらえませんか? 我々も大陸に渡りたいんです」
 セリオルが申し出た。ロックウェルは、サリナとセリオルの当面の目的地だったセルジューク群島大陸のインフェリア州に存在する。もともとセリオルはこの街を次の拠点としようと考えていた。
 ロックウェルは蒸気機関の技術が発達した街である。蒸気機関技師を目指すフェリオがその街に住んでいるのも当然と言えた。セリオルはその街で、ある人物に会おうと考えていた。
 団長は漁師連中に船を出す依頼をすることを快く引き受けてくれた。
「よし、じゃあ準備ができ次第出発しようぜ」
「カインさん、ごめんなさい、私、1回寝たいです」
 老夫婦から離れ、眠気に目をとろんとさせたサリナがそう言った。詰所が温かな笑いに包まれた。

 “海原の鯨亭”マスターは、サリナたちの帰りを迎えた時、特段表情を変えたりはしなかった。しかしカインが突つくと、隠す気は無かったのだろう、簡単に口を割った。
「お前ら兄弟がそのへんのゴロツキにやられる訳ゃねえからな。自警団の団長と哨戒を呼んだんだ」
「おいおい自分で出向けよ。呼びつけたのか」
 カインの茶々はマスターによって華麗に無視された。
「哨戒に聞いたら、野盗どもは1列に並んでやって来るって言うじゃねえか。村を襲おうって馬鹿どもがそんな整然と行進するはずがねえ。それでピンと来て、哨戒のやつに行列の先頭を歩いてるやつの服装を見て来いって言ったんだ」
 その特徴は、マスターの予想通りカインとフェリオのものとぴたりと一致した。そこでマスターは、団長に指示を出させた。村まで10メートルの位置に来ても野盗たちが殺気立たないようなら、それは野盗を討伐してくれた英雄の帰還だから手厚くもてなせと。正義の使者のお戻りなのだと。
「ありゃあんたの差し金かよ……英雄だとか勘弁しろよなあ」
 カインが湯飲みを置いてテーブルに突っ伏した。眠い目をこすって、サリナは称賛の声を上げた。
「マスターさん、すごいですねえ。全部わかってたんですね」
「ま、こいつらとの付き合いも長いからな」
「セリオルもすげえよな。村入る前から、マスターがいるから大丈夫だとか言ってたもんな。あん時は意味がわからんかったけど」
 セリオルはカインの言葉に、微笑みつつ「ありがとう」と答えるのみだった。そこからカインはセリオルの明晰ぶりを持て囃し始め、さすがのセリオルも苦笑しつつ制止するのだった。
 その後、話題は次なる目的地、ロックウェルへと移った。スピンフォワード兄弟はロックウェルに住み、フェリオは技師の師匠の元で修業、カインはそんなフェリオを支えるために換金用の魔物を狩って生計を立てているのだという。そこでさきほどマスターが、スピンフォワード兄弟との付き合いが長いと言ったことを不思議に思ったサリナが蒸し返した。
「こいつら、フェリオの研究だかでしょっちゅう来るんだ」
「マスター、あまり事情を明かさないでくれ」
 フェリオが小さな声で抗議したが、マスターは声を上げて笑い飛ばした。
「いいじゃねえか。お前さん、これまでの地道な努力が報われたんだろ? もっと誇りゃあいいんだよ」
「そうですよ。早くロックウェルに戻って学会発表しましょう」
 学問だとか技術の進歩の話題に、セリオルは活き活きするのだった。フェリオは僅かに顔を赤らめ、カインは弟が褒められることに満足げだった。サリナはそんな光景を幸福な気持ちで眺め、そして幸福感に満ち足りた口調で切り出した。
「マスターさん、私、お湯を浴びてぐっすり寝たいです」
 こうして、彼らの出発は1日延期されることになった。

挿絵