第92話

 明かりを落とした部屋の机で、セリオルはその古い書物の解読を進めていた。クリプトの書は古く、傷んだそのページはめくることにすら細心の注意を払わねばならなかった。
 かさり、と音を立てて、また1枚、ページがめくられる。
 暗い部屋。セリオルの手元を照らす燭台の蝋燭は、もう随分その背を縮めている。予備の蝋燭はいくらでも準備されていたが、セリオルは書を読み進める楽しみに浸り、そのために必要な明かりの補充さえ億劫に感じていた。
 久方ぶりに、独りになることが出来た。静かな暗闇の中で、セリオルはその充足感を噛み締める。
「グラナド伯に感謝しなければいけませんね」
 ぽつりと独りごちて、セリオルは頬杖をつく。
 クリプトの書には、かつて栄えた世界のことが記されていた。統一戦争より以前、まだ世界には多くの国があり、活気に満ちた列強国はしのぎを削っていた。魔法と技術は発展を続け、人々は争いの中に喜びを感じていた。
 セリオルは古の書を読み進める。解読は難解だ。その進む速度は遅いが、しかし彼にとって、その探求の時間は他の何にも代えがたいものだった。
 彼らは享楽の街アクアボルトの行政府に宿泊していた。グラナド家の屋敷でもあるその建物には、彼らが泊まるに十分な数の部屋が用意されていた。
 民族融合の宣言がなされた、その夜。アクアボルトの街は高揚感に包まれていた。人々は誰もが自治区の明るい未来を信じ、これから迎えるアイユーヴとの有益な関わりについて語り合った。
 アクアボルトの民は、レオンとサンクを讃えた。今後、自治区の統治は変わるだろうとセリオルは考えた。アイユーヴの民が政治に入り込むことは想像に難くなかった。それは良いことだと、彼は思った。
 シモンは笑っていた。大きな仕事を成し遂げた弟を賞賛し、彼は自分の店へと戻って行った。ラモンとセリノはフォグクラウドへ吉報を届けに戻った。レオンは行政府に留まり、サンクと遅くまで会談――という名の談笑をしていた。
 人々はまた、幻獣の御使いのことも大いに讃えた。街に出れば騒ぎになることは明白だったので、彼らは行政府から出なかった。カインはやや不服そうだったが、他の仲間たちはのんびりと寛いでいた。
 彼らにはそれぞれにひとり部屋が充てられた。特に希望したわけではなかったが、サンク側の配慮だった。旅の疲れをゆっくり癒してほしいと言った伯爵の顔が、脳裏をよぎる。
 クリプトの書には、次なる瑪瑙の座の手がかりがあるはずだった。旅の合間に解読するしか無いことがセリオルには歯がゆかった。だから今夜、行政府に併設のバーへ行こうとしきりに誘うカインを断って、彼は書を読み進めることにした。
 遅くはあるが着実に、彼の目と指は古き書の文字を追う。傍らに置いた彼の解読記録には、絶え間無く文字が書き込まれる。
「おや……?」
 セリオルの目がぴたりと止まる。クリプトの書に出てきたある魔法文字が、彼の意識を縛り付けた。何度も繰り返し、その文字の上を目が通る。
 ドクン、と心臓が跳ねる。大きな鼓動の後、彼の全身に血を送るその命の臓器は、まるで狂ったかのごとき速度で脈動した。呼吸が苦しくなるのを、彼は感じた。頭の中に嵐が吹くようだった。耳の奥が熱い。まるで両目が燃えるようだ。
 歴史の闇に忘れ去られたその存在が、彼の古い記憶を呼び覚ます。そしてそれは、彼が想像しうる中で最悪の未来を描き出していた。
「魔神……だと」
 彼は後悔した。その言葉を口にしてしまったことを。まるでそれだけで己が身が穢れてしまうかのようだった。
 その夜、彼の許を眠りが訪れることは無かった。

 盛大な見送りから半ば逃げるようにして、サリナたちはリンドブルムに乗り込んだ。
 遅めに起きた彼らは、尋常ではない街の喧騒に驚かされた。中でもサリナは、丸めたシーツを抱きしめて夢の中にいたところ、こっそり部屋に侵入したアーネスにぺちぺちと頬を叩かれて目を覚まし、外の騒がしさに驚いてベッドから飛び出した。
 何事かと訊ねてもアーネスはやや意地悪に笑うばかりで答えてくれないので、彼女は急いで着替えて朝食の用意されているらしいグラナド家の食堂へ向かった。そこで皆から、アクアボルトにアイユーヴの人々が一斉に訪れてお祭り騒ぎになっていることを聞かされたわけだが、自分のあまりにひどい寝癖を大笑いされたことでそれどころではなかった。
「すごく賑やかでしたねえ」
 まだ港からこちらに向かって手を振り続けるアクアボルトの人々に手を振り返しながら、シスララは嬉しそうだった。
「そーだな……俺、もうちょいゆっくりしたかった」
 クロイスは街でランスロットと再会した。レース場の外のランスロットはいかにも爽やかな青年だった。騎手服を着ていないので、クロイスはすぐには彼がランスロットだとは気づかなかった。
 クロイスは仲間たちとリンドブルムに向かうところだったので、ランスロットとゆっくり話すことが出来なかった。それでもふたりの間に芽生えた友情の証に握手を交わすことは出来た。そしていつかレース場で再戦することを誓って、彼はランスロットと別れたのだった。
 ユーヴ族の面々も見送りに来てくれた。口々に感謝の言葉を述べる彼らと、サリナたちは抱き合い、握手を交わした。アマリアはサリナを抱き締め、涙を流して別れを惜しんだ。次にアクアボルト自治区に来る時には、フォグクラウドでアマリアの手料理をご馳走になることを、サリナは半ば無理矢理約束させられた。
 シモンは、またしても驚くべき速度で仕立てた服をプレゼントしてくれた。それは特に女性陣を喜ばせた。柔らかく肌触りの良い布で織られた服で、着飾らない、部屋着として使えるものだった。長旅の中で傷んでいく服の贈り物に、サリナたちは感謝した。
「実はな、アイユーヴに発つ前にスタッフに頼んでおいたんだ」
 笑いながらそう種明かしをしたシモンの笑顔が、サリナの胸を熱くした。あの時点で、それだけサリナたちのことを信じてくれていたのだ。アクアボルトに着いて初めから最後まで一緒だったシモンとの別れに、サリナは少し涙した。
「また来たいね。今度はゆっくり遊びに」
 甲板の縁から身を乗り出して、サリナはそう言った。並んで立つシスララとクロイスは大きく頷いた。
 アイユーヴ諸島での日々を、サリナは手を振りながら思い返した。短くも濃く、駆け抜けた数日間だった。愛すべき多くの人々との出会いがあった。激しく苦しい戦いの末に、力強い新たな協力者を得た。永きにわたる民族の対立が解消され、ひとつの自治区の明るい未来を予感することが出来た。
 サリナは様々な思いを込めて、大きく手を振った。港の岸に、シモンやレオンたちの姿がまだ見えるような気がした。
「クロイスのレースもまた見ないとな」
 やや離れたところから面白がる声で、フェリオの言葉が飛んできた。クロイスはむっとした顔を彼に向けたが、すぐにむっとする理由が特に無かったことを思い出して、頭を振った。サリナとシスララがそれに気づいて笑い、クロイスが怒る。
「せ、せりおる……」
 サリナたちとは違う側の甲板の端に、赤毛の男が転がっている。彼は顔を真っ青にしてのたうっていた。あっちを向きこっちを向きするその顔を、アーネスがまたしてもどこから持って来たのか、木の枝でつついて遊んでいる。
「よ、よいどめ……たしゅけて……」
 出航して間もないというのに、カインは大いに船酔っていた。彼にいつもの薬を渡すのをすっかり忘れたセリオルは、ただ静かに操舵室で舵を握っている。

 船の上で数日が経過した。出発の日、朝食の席でセリオルが出した方針に、仲間たちは素直に従った。クリプトの書から紐解かれた次なる目的地。それは――
「“蒼霜の洞窟”つったっけ」
 閑掻の海を東へ進むリンドブルムの甲板に寝転がって空を見上げながら、クロイスはぽつりと呟いた。
 海は変わらず穏やかである。こうしていると、ゼノアの手が世界に広がりつつあることなど忘れてしまいそうだ……そう思いながら、眠気を誘う暖かな陽光を、クロイスは浴びる。
「確かに、あそこが水の集局点でもおかしくはないな」
 珍しく銃の手入れはせずに、フェリオは船の進む先を見つめている。
 海陽の船は、閑掻の海を東へ進む。アイユーヴ諸島の東。そこにあるのは、セルジューク群島大陸である。サリナたちはアクアボルトを発って、これまでで最も長くなる船での旅路を辿っていた。
「まさかこんなに早く戻ることになるとは思わなかったけど」
 フェリオは東を見つめる。しかしその目に映るのは、セルジュークではなかった。彼の目は更に遠く、あの運命の洞窟を見つめている。
「カインナイトを見つけた洞窟、ね」
 風になびく髪を押さえ、アーネスは短くそう言った。フェリオが頷く。傍らで、カインは嬉しそうである。
「なんだか、どきどきするなあ」
 セリオルがクリプトの書から導き出した次なる目的地、水の集局点“蒼霜の洞窟”。フェリオがカインナイトを発見し、竜王褒章を受章することになった、あの洞窟。それはセルジューク群島大陸にほど近い辺境の島、ハイナン島に存在する。
「サリナの故郷なのよね? 楽しみね」
 シスララはまだ見ぬハイナン島の姿を想像して楽しんでいる。サリナやセリオルのようなハイナン服の人々が行き交う村。一体どれだけ美しく、華麗な場所なのだろう。
「あの、なんにも無いよ。ほんと、田舎だから。山と川しかないよ」
「畑と牧場もあるだろ?」
 またしても意地悪な感じのフェリオの声に、サリナは頬を膨らませる。
「なによー。どうせ田舎ですよ! ふーんだ!」
 ぷいと顔を背けてしまったサリナに、仲間たちが笑う。中でもカインは楽しそうだ。
「なんだ、自分で田舎って言ったのに、やっぱひとに言われるとアレなんだな。はっはっは」
「もー。カインさんまで、アレってなんですかーアレって!」
「はっはっは」
 海風は肌に心地良く吹き抜けていく。自分のことを笑う仲間に憤慨しつつ、サリナは遠くの空を見る。ダリウとエレノアの笑顔が浮かぶ。久しぶりに会える。ふたりは、元気だろうか。
「そういや、サリナのじいちゃんとばあちゃんには会ってねえな」
 自分の考えていたことが見透かされたようで、サリナはカインのその声にびくりとした。その動きに不思議そうな顔をするカインから顔を逸らし、サリナは頭を振る。
「そっか、ふたりはサリナとセリオルにハイナンで会ったのよね」
 思い出した、というふうにアーネスが言った。そのあたりの大まかな経緯は、クロイスやシスララも聞いていた。
「はい。フェイロンから旅立った時の乗り合い騎鳥車の中で」
「あん時ゃ大変だったなあ。いきなり野盗が出るしよ」
「あはは。そうですね。アジトに乗り込んで大暴れしましたしね」
「はっはっは。そうそう。フェリオはサリナにつんけんしてるしなあ」
「兄さん! それは言わなくていいだろ!」
「お? なんだなんだ、おもしろそーな話か?」
「あら。私もそれ、興味があります」
「そうね、是非聞いておきたいわね」
「う、うるさいな。大したことじゃないって!」
「クックック。どうしたのかねフェリオくん、ガラにもなく動揺しちゃってさ」
「兄さん!!」
 顔を真っ赤にするフェリオをからかって楽しむ仲間たちの傍らで、サリナも楽しさに笑った。フェリオはこちらをちらりと見て気恥ずかしそうにしている。
 あの時、お別れだと思っての上だったが、ロックウェルの港でフェリオが言ってくれた言葉がサリナの胸に蘇る。あの時の静かで穏やかなフェリオの目。理知的で真摯な、彼女の好きな目。
「そういや初めて会った時からセリオルは切れ者だったな」
「そりゃ、途中からいきなり切れるようにはならないだろ」
「いやそうなんだけどよ」
 ひととおり騒いで落ち着いたスピンフォワード兄弟が、そんな言葉を交わした。初めて会った時。そう聞いて、サリナは思い出した。ふたりとセリオルは、サリナよりも先に会っているのだ。騎鳥車を襲った野盗との戦闘の際に。
「へえ? どんな場面だったの?」
 興味を持ったらしいアーネスに、スピンフォワード兄弟が答える。
「さっき言った野盗が出た時なんだけどな。フェイロンからユンランに向かう騎鳥車に乗っててさ」
「俺と兄さんの戦力を一瞬で見抜いた感じだったな。あれは驚いたよ」
 弟の言葉に、カインは大きく頷いた。
「ああ。相手は10人くらいの盗賊だったから大したことは無かったんだけどな。何せ騎鳥車の中には女こどもに老人もいたし、襲撃に気づいた時にはもう幌に取り付かれてた。セリオルの指示がねえと危なかったかもな」
「俺と兄さんの武器を見て、どの位置の敵に誰が向かうかを一瞬で全部指示したんだ、セリオルは。俺はほとんど目を瞑って撃ってたよ」
「いやいや、それは言いすぎですよ」
 スピンフォワード兄弟の賞賛の声の後ろから、セリオルの声が聞こえた。どうやら船の操縦をある程度の慣性運転に任せたらしい。波は低く、風向きどおりの進行で問題無かった。
「お、ようやく出て来たか」
 にっと笑って手を上げるカインの隣に、セリオルも腰を下ろした。細く、彼は息を吐く。
「ずっと操舵室に篭っていると、息が詰まりますね」
「悪いわね、いつも操縦を任せてしまって」
 そう言うアーネスに、セリオルはかぶりを振る。
「いえ、構いませんよ。たまにこうして外に出れば気分転換になりますから。上手く操縦出来るのは私とフェリオだけですしね」
 そう言って、セリオルはその長い脚を甲板に投げ出した。その珍しく少年のような仕草をしてみせたセリオルに、仲間たちはやや違和感を覚える。
「セリオルさん、何かありましたか……?」
 アクアボルトを発った朝から、サリナは感じていた。セリオルが、どこか暗い。会話をしていても、頭のどこか片隅で別の何かのことを考えている。そんな印象を、彼女は受けていた。セリオルは頭が良い。これまでにも同じようなことはあったが、今回はいつも以上にその印象が強い気がする。
「いえ、少し疲れただけですよ」
 セリオルはにこりと笑う。その笑顔はいつものセリオルだった。サリナは首を傾げる。やはり気のせいだろうか……?
「あ、そうそう。良い物があるんです」
 投げ出した脚を折って立ち上がり、セリオルは船室へ何かを取りに行った。その長身の後姿を見送りながら、クロイスが口を開く。
「なんか変、だよな」
「ああ、変だ」
 賑やかコンビのふたりが、揃って眉根を寄せている。普段ならコミカルに映るその光景も、今はどこか深刻さを帯びている。
「クリプトの書に、何か書いてたのかもな」
 船内へ入る扉のノブに手をかけたセリオルの背中に、フェリオはあの夜のことを想起する。兄と連れ立ってセリオルをアクアボルト行政府内のバーに誘った。しかしセリオルは、クリプトの書を解読しなければならないからと、誘いを断った。
 その次の朝から、彼の様子はどこかおかしかった。心ここにあらずといった雰囲気が伝わってくる。セリオルはそれを努めて表には出さないようにと注意していたようだが、随分長く一緒にいる身である。隠そうとしても、にじみ出るその気配は無視しようがなかった。
 しばらくして、セリオルが再び甲板に出てきた。彼がその手に持っているものを見て、シスララが歓声を上げる。
「わあ、セリオルさん!」
 セリオルが微笑みながら持って来たのは、新しい槍だった。シスララがエル・ラーダから持って来たものよりも槍頭が長大で、装飾も凝ったものになっている。見るからに威力が高そうだ。
「聖獣の森で戦った双頭竜と陸亀の素材で合成しました。名づけて、オベリスクランス」
「オベリスクランス!」
 新たな武器を受け取り、シスララはぴょんと跳ねて喜んだ。その様子に、セリオルはにこりと微笑む。
「ありがとうございます、セリオルさん」
「いえいえ、どういたしまして」
 ぺこりと頭を下げるシスララにそう言って、セリオルはもう一方の手に持った包みを甲板に置いた。どさりと重そうな音がする。
「そっちは何だ?」
 マナ・シンセサイザーで合成された新たな武具。期待を顕わにして、カインが包みを覗き込む。
「最近多くの素材が手に入りましたからね。色々と造っておきました」
「おわ! すげえ!」
 包みを開いて、カインも歓声を上げた。仲間たちががやがやと盛り上がる。
 主に守りの面で、新たな武具が揃えられた。双頭竜の翼を使った帷子、陸亀の甲羅と鱗を使った腕輪、牡鹿と狼の毛皮から作られた靴、魔の樹木の強靭な繊維で編まれた下衣、ボムやプリンの核をエンチャントの触媒とした指輪などである。
「すごい! セリオルさん、いつの間にこんなに造ったんですか?」
「ほんとね。随分時間がかかったんじゃない?」
 サリナとアーネスの声に、セリオルは笑って答える。
「雷帝の館から戻ってから、少しずつ造っていたんですよ。行政府で渡すのも変でしたからね」
 しかしそう語るセリオルの顔色を、フェリオはそれとなく観察している。血色が良くない。やはり何か、重大な懸念事項が生まれたのだ。だから急いで、彼は更なる戦力の増強を行ったのだ。聖獣の森や雷光の森、雷帝の館で戦った、強力な魔物たちの素材を使って武具を合成することで。
 それを問いただすべきか、否か。フェリオは迷った。セリオルが全てを語らないのは、今に始まったことではない。彼なりの考えがあってのことなのだろう。それを今ここで、突き詰めるべきだろうか。
 考えて、フェリオはかぶりを振った。恐らく、答えは否だ。
 彼は兄の言葉を思い出していた。もしもセリオルが、悪意をもって語らないのだとしたら。それが明らかになった時、彼を裁くのが自分たちの役目だ。そしてその可能性は、考えられうるあらゆる事象のそれの中で、最も低い。
 なぜなら、フェリオは知ってるからだ。サリナのために、セリオルがいつでも命を懸けることを。
「セリオル」
 フェリオは呼んだ。その聡明で怜悧な頭脳を持つ、若き魔導師を。
「はい?」
 セリオルは憔悴の見て取れる目で、こちらを向いた。懸命に、彼は虚勢を張っている。それが痛々しくもあり、同時にフェリオにとっては、悔しくもあった。
「頼ってくれ。必要な時には」
 仲間たちは新たな装備品で盛り上がっている。彼らに聞こえないように、フェリオは声を抑えた。低く響き、しかし彼の声は確実に、セリオルに伝わった。
 一瞬、セリオルは目を閉じた。そしてすぐに開き、彼はほんの僅かに口元を上げた。
「ありがとう」
 それだけで良かった。彼らの疎通は、その簡潔な言葉のやり取りのみで達成された。ふたりの若き賢人は互いの意図を汲み、そしてこの先に待ち受ける試練に挑むため、新たな力を手に取った。