第96話

 村人たちはそれぞれの住まいで、寒さをしのいでいた。ダリウとエレノア、サリナ、セリオルの4人は、家の中でじっと耐えていた村人たちを呼び集めた。彼らはすぐに集まった。サリナとセリオルが一時的にでも帰って来たことを喜び、協力することをすぐに了承した。
「エレノアさん、持って来たよ!」
 ステラ・ハニーテイルは、親友の手助けをするため、両親が営む羊毛店からありったけの羊毛を運んで来た。修法堂に集った村の女たちは、上質な材料の到着に歓声を上げる。
「ありがとう、ステラ。助かるわ」
 エレノアはにこりと微笑み、孫娘の友人を労った。いつも元気溌剌としているステラは、その言葉に大きく頷いて答える。
「うん! 私も服作り、手伝うよ!」
「ステラ、早くみんなに配ってちょうだい!」
 威勢の良い声でステラにそう頼んだのは、クリークミスト服飾店の主人を支える奥方、シルヴィエ・クリークミストだった。ステラは大きな声で返事をし、羊毛の塊を女たちに配り始める。そのシルヴィエの傍らで、娘のユリエ・クリークミストが小さく母をたしなめる。
「もう、そんなに大きな声で言わなくても大丈夫よ。ステラは耳がいいんだから」
「なんだい、いいじゃないのさ。さあ、張りきって作るわよ、サリナちゃんたちの防寒服!」
「はいはい……頑張らなきゃ」
 自宅に自分を呼びに来たサリナの姿を脳裏に描きながら、ユリエは縫い針を手に取る。
 突然旅に出た親友が、久方ぶりに帰って来た。旅の疲れの残る姿で、彼女はユリエに懇願した。村が危ない、救うために協力してほしいと。わけがわからないまま、彼女はサリナの祖父が営む白の修法塾、その修法堂と呼ばれる訓練所に駆け付けた。
 集まった村の女たちに、セリオルが帰還の挨拶もそこそこに説明した。近頃の異様な寒さは、マナの乱れが原因だと。小川がその上流にある洞窟から、水のマナを過剰に運んでいるためだと。
 そして彼は告げた。自警団の存在しないこの村に、幸いにして王国騎士団の騎士隊長が来てくれている。金獅子隊の隊長だというそのアーネスという名の女性騎士は、確かに騎士隊長にしか装備を許されない品を携えていた。王都は連絡がつかず、助けを求めることは出来ない。ユンランの自警団も、呼びに行くのは時間がかかる。だから、彼は自分とサリナ、アーネス、そして仲間たちが洞窟に調査に出ると言った。
 村人たちは止めようとした。危険すぎると、皆が口を揃えた。しかし、サリナたちが調査に出ることに賛成する者たちがいた。
 ダリウとエレノア、そしてサリナの武術の師である、ローガンだった。
 3人は同じ言葉で村人たちを説得した。サリナはダリウとローガン、ふたりの愛弟子だった。白魔法と武術、両方に素晴らしい能力を持っている。旅に出てから、その力は更に磨きがかかっていた。
 そしてセリオルや他の仲間たちも、騎士隊長であるアーネスが十分に認める実力者だという。それならば、王都の騎士隊やユンランの自警団よりもよほど頼りになる。この時を逃して、次なる時はやっては来ない。
 村の信望篤き3人の言葉が、フェイロンの人々を納得させた。だが彼らは、全てをまだ若いサリナたちに委ねるほど、無責任ではなかった。彼らは、自分たちに出来るあらゆることを協力すると申し出た。
 こうしてフェイロン村は、村を挙げての大作戦を決行するに至った。
「ユリエ、頼むよ! サリナの服、最高のを作ってあげよう!」
 隣りに座ったステラが、輝く笑顔でそう言う。幼いころから共に育った親友のひとり。ステラもサリナも、ユリエにとってはかけがえのない友だ。
 詳しい事情は後で話すと、セリオルは約束した。その隣りに立っていたサリナも、ユリエやステラに向けて頷いていた。それを、ユリエは信じた。彼らは必ず戻って来る。そのために、自分も出来ることをやろう。その時彼女は、そう決めた。
「ええ。任せてちょうだい。サリナには、私が一番良いのを作ってあげるわ」
 ステラにそう答えたユリエのそばに、腰を下ろす者があった。ユリエとステラはそちらに顔を向ける。
「私も、お手伝い致します」
 長い黒髪に、白く美しい肌。肩には小型の飛竜を乗せたその女性は、確かサリナの旅の仲間だと言っていた。
「シスララと申します。よろしくお願いします」
 柔らかく微笑むその女性の美しさに、ふたりは密かに憧れを抱いた。

 深々と冷える村の集会所に、セリオル、フェリオ、アーネスの姿があった。彼らはフェイロンの村長やその息子、そして普段は山の恵みを生活の糧としている猟師たちと作戦を立てていた。
「川は途中で何度も枝分かれするが、あの水の量だ。どの支流が洞窟に続いてるかはすぐわかるはずだ」
 フェイロンの森と山に詳しい猟師がそう言った。しかしそれに、フェリオが問いを返す。
「川を遡るのが一番速い道なのか?」
「いや、それは違うな」
 さきほどとは別の猟師が、フェリオの問いに答えた。フェリオがそちらに顔を向ける。
「けど、速い道には魔物や猛獣が出る。この異常な寒さで、奴らの食糧も不足してる。凶暴化してるぞ」
「問題無い。速い道を行こう」
 即答するフェリオに、猟師が驚きの声を上げる。
「おいおい、冬の魔物や猛獣はやばいんだ。俺たちも冬には山に入らねえ。それがこんな、考えもしねえ時期に寒くなって凶暴化した奴らは、更に危ねえぞ」
「その凶暴化した魔物が村に入って来たらどうするんだ。のんびりはしていられない」
 フェリオの声には強い意志が感じられた。もはや猟師たちに返す言葉は無かった。
「フェリオ、そう厳しく言うものではありませんよ。彼らも私たちを心配してくれているんですから」
 セリオルの声は落ち着いていた。フェリオの焦りの理由を、彼は理解していた。
 フェイロンに危機が迫っていることも、もちろんそのひとつだ。サリナの故郷、それが滅ぶかもしれないという事態を、彼は回避したいはずだった。彼がサリナに抱いている感情を、セリオルは受け入れていた。
 しかしもうひとつ、彼には急がねばならない理由があった。
 蒼霜の洞窟は、フェリオが竜王褒章を授かる理由となった場所だ。何年も探し続け、ようやく見つけたカインナイト。旅を始めてすぐの頃、彼は言っていた。蒸気機関の排熱に有効な鉱石の新たな鉱脈を発見したと。だがそれは、単なる新しい鉱脈ではなかった。
 精製すれば熱を吸収してゼロにしてしまうという奇跡のマナストーン。偶然の結果とはいえ、蒸気機関技術の世界に大いなる発展をもたらすであろうその鉱石の鉱脈を、フェリオは発見した。
 彼はそのマナストーンに、カインナイトという名を付けた。親の代わりに彼を育ててくれた大切な兄の名を、彼は鉱物学や物理学の歴史に残るはずの、自分の功績の中に組み込んだのだ。
 その大切な鉱石の洞窟が、異常を来している。それを知って、彼に平静を保てというのは酷な注文だった。
「私たちの目的は、蒼霜の洞窟の異常を止めて、この寒さを解消することよ。そのために最も迅速で安全な手段を取らなくてはいけないわ」
 対して、アーネスは冷静だった。セリオルとアーネス。自分が認めるそのふたりの年長者の静かな言葉が、フェリオの心を鎮めていく。
「……そうだな、すまなかった」
 猟師に詫びて、フェリオは深呼吸をした。猟師たちは気の良い男たちだ。フェリオに腹を立ててもいなかったが、彼らは少年の背を叩き、気持ちの良い声で笑った。
「道は何通りもあるのかの?」
 フェイロンの村長、ハヴェル・アンドリーセクが猟師たちに訊ねた。問われたほうは、揃って難しい顔で頷いた。
「地図を」
 ハヴェルの息子、エルヴィンが指示を出し、猟師たちが狩猟の際に使う地図を出した。あまり正確なものではないが、何も無いよりはましだった。
 地図によると、蒼霜の洞窟は村から北東の山中に存在するようだった。猟師の地図には、日頃主に使っている狩り場や獲物の情報、狩り場へ行くための道順、目印などが乱雑に書き込まれている。その見づらい地図の中に、蒼霜の洞窟へ至ることの出来そうなルートがいくつか記されていた。
「これが一番、時間的には速い道だ」
 猟師が示したそのルートは、かなり急な崖道や生い茂る茂みを通る獣道など、そう簡単に通れそうにないものだった。
「普段でも俺たちは使わねえ道だ。あの洞窟に急ぎの用なんてねえしな」
「しかも今はこの寒さだ。あの崖道は吹きっ晒しの強え風がある。魔物も出るかも知れねえ。相当危険だぞ」
 猟師たちが警告を口にする。それを耳に入れて、しかしセリオルは即座に口を開いた。
「エルヴィンさん、どこかに燻製肉を作る道具はありませんか?」
「燻製肉?」
 エルヴィンは疑問を口にしたが、フェリオとアーネスはすぐに反応した。
「村に香辛料の備蓄はあるか?」
「私の店にあります。誰かフェリオを案内してあげてください。鍵はこれです」
「私、カインにスペクタクルズ・フライを頼んでくるわ」
 突如動き出した3人に、村人たちは何が起こったのかと唖然とした。しかしすぐに、彼らは3人が何らかの手立てを考えついたのだと理解し、行動に移った。
「最短の道を行くのが難しいなら、簡単になる方法を考えればいい。簡単なことだ」
 小さく呟いたフェリオに、セリオルは静かに頷いた。

 ファンロン流武闘術師範、ローガン・ファンロンは武術の達人である。遠く離れたファーティマ大陸の総本山で修業を積み、彼は師範の認めを受けた。ファンロン流は道場を開くことを簡単には許さない。ローガンは並み居るライバルの中でも、優れた腕を評価されて道場を持つことを認められたのだ。
 そのローガンから見ても、目の前で繰り広げられる組手は、もはやついていけるレベルではなかった。
「なんてやつだ……」
 師範代の認定を授けたあの時、既にサリナの強さはローガンに匹敵するものだった。彼女は素早く、その速さは何よりも強力な武器だった。天の型を得意とし、速さを威力に換えて戦う。村の周辺で現れる魔物は彼女の敵にはならず、これからいかにして彼女を鍛えたものかと、ローガンは悩むことも多かった。
 そのサリナが、更に強くなって帰って来た。一体どれだけ凄まじい戦いを経験してきたのか。ローガンには想像もつかないほどの死線を潜り抜けてきたのだろう。まだ若い――ローガンから見れば幼くすら見えるサリナのその強さが、彼には危うくすら見える。
 そのサリナと、赤毛の青年は互角の戦いを繰り広げている。彼の動きにも、ローガンは舌を巻いた。鞭という珍しい得物を、彼は手足の一部であるかのように自由に、軽快に、まるで軽業師であるかのごとき動きで操って見せた。訓練用の殺傷能力を落としたもので、彼は今サリナと訓練を行っている。
「ははっ。やっぱ強えなあ、サリナは!」
 鞭を戻してサリナの動きを油断無く見据えながら、カインは楽しそうだ。切り込み隊長を自負するだけあって、彼は戦闘が好きなのだ。模擬戦であっても、サリナはその相手として十分以上の強さを持っていた。
「カインさんこそ、ほんとすごいです!」
 サリナも表情を活き活きとさせ、自分の力を遺憾なく発揮できる訓練を楽しんでいた。カインには、力を抑え、遠慮をする必要が無い。そのトリッキーな動きに翻弄されないように注意しながら、また身体や棍をその鞭に絡め取られないように見極めながら、サリナは訓練を続ける。
 仲間たちは今、それぞれの得意分野で蒼霜の洞窟を攻略するための準備を進めている。しかしサリナとカインには、特に出来そうなことは無かった。だからふたりは、少しでも力を高めようと、戦闘訓練を行うことにしたのだ。そのための場所に、サリナはローガンの道場を選んだ。
 この道場で稽古が出来ることが、サリナは嬉しかった。自分の武術の始まりの場所。その卓越した力の根幹を作ってくれた、大切な場所。戻って来ることが出来ないかもしれないと思っていた。そこにしみ込んだ木や松脂の香りが、彼女は好きだった。
 カインはサリナの足払いでバランスを崩しながらも、鞭を繰り出した。サリナは足払いで態勢を低くしたところ、体重を上へ移動する直前に、足にその鞭を絡められてしまった。ふたりとも疲労も溜まっている。この一瞬が、勝負を分けるのに極めて重要な瞬間になると、彼らは同時に悟った。
 カインは上手く受け身を取ってすぐに立ち上がった。サリナは逆に、カインによって足を持ち上げられ、派手に転倒した。そこに足から離れた鞭が、今度は首に巻きつこうと迫る。
 しかしサリナはただ転倒しただけではなかった。そのまま低い姿勢で勢いをつけ、床を蹴った。一瞬で彼女は、カインとの距離を詰めた。
 カインは鞭を戻した。そして彼は、鞭を二重にして振るおうとした。接近戦で威力を発揮する技だ。サリナはそれを察知し、フェイントを交えてカインの背後を取ろうとした。ふたりは距離を詰め――
「カイン!」
 突然アーネスの声が聞こえた。ふたりは驚いて、その瞬間に訓練を終了した。サリナは速度をすぐに殺すことは出来ず、カインの横を通り過ぎてから止まった。すぐに姿勢を上げて振り返る。
「アーネスさん?」
 アーネスは急いでいるようだった。彼女は足早に靴を脱ぎ、ローガンに挨拶をして道場に上がった。
「あんだよ。水差しやがって」
「いいから、スペクタクルス・フライをお願い!」
「な、なんだよ、いいからって」
 ぶつぶつ言いながらも、カインは獣ノ箱を取り出した。サリナもふたりのところへ行く。
「何があったんですか?」
 汗を拭いながら訊ねるサリナに、アーネスは手短に答えた。
「クロイスにメッセージを送るの。スモークディアがいたら優先してちょうだいって」
「お、スモークディアか……なんでこんな時に?」
「いいから!」
「なんだよ畜生。なんか俺だけ扱いが雑じゃね?」
 そうぶつくさ言いながらも、カインはスペクタクルズ・フライを呼び出し、クロイスへのメッセージを込めて送り出した。
「あの、スモークディアってなんですか?」
 急いでいるらしいアーネスに、サリナが控えめに訊ねた。するとアーネスは、カインに対するものとは違う、普段の口調で答えた。
「鹿の一種よ。食用なんだけど燻製に適してて、素早く燻製出来るのが特徴なの。だからスモークディア」
「あ、なるほど。燻製を作るんですね」
「ええ。たぶん、蒼霜の洞窟に行くための鍵になるわ」
「……なんで俺にはちゃんと答えてくれねえんだよ。ちぇっちぇ」
 カインは毒づきながら、その場にあるはずの無い石ころを蹴るような仕草をしてサリナを笑わせた。
「さて、じゃあお前さんら、ちょっと休憩したら今度はこっちをやるか?」
 そう言ったのはローガンではなく、ダリウだった。彼はサリナの白魔法とカインの青魔法の力を高めるため、マナを扱う力の指導を引き受けたのだ。
「ぼ、僕たちも、一緒にお願いします!」
「お願いしまーす!」
 ダリウの隣りでサリナたちに向かってそう言ったのは、サリナより少し年下に見える少年と、その妹らしき幼い女の子だった。さきほど、サリナとカインはダリウから彼らを紹介された。ダリウの生徒の中で、今最も真面目で伸びている兄妹だという。名は、テオとエルナというらしい。
「うん、よろしくね!」
 にこりと微笑んだサリナから、テオはなぜかぎくしゃくした動きで顔を逸らした。サリナは不思議そうに首を傾げ、ダリウが笑った。

 フェイロンの森で、クロイスはダグや村の猟師の娘らと狩りを行っていた。急激に進む寒さに備え、少しでも村の食糧を確保しておこうというのが目的だった。しかし気温の下がった森には動物も少なく、成果は良くはなかった。
「確かにこりゃあ、狩りにはきちーな」
「そうですなあ。獲物がいなきゃ狩りようがねえ」
 あまり深刻に思ってはいない様子のダグがそう言うが、ダグの顔を見ようと思うを首が痛くなるくらい見上げないといけないので、クロイスは彼のほうを見るのを諦めていた。
「あんたの図体が大きいからじゃないの?」
 そう言ったのは、マリカ・アダムチークという名の猟師の娘だった。サリナの親友だという。サリナと同い年だそうだが、彼女は大人びた容姿で、サリナよりも年上に見えた。幼いころからサリナを知っているらしい彼女は、サリナのことを随分心配していた。 
 サリナの旅立ちは突然のことだったと、マリカは語った。突然友人たちに知らせ、そのまま出発してしまったらしい。彼女らは、事情を何も聞かされていないようだった。いきなりのことに、当時は腹を立てたこともあった。ずっと親友だと思っていたのに、ないがしろに扱われたような気がした。
 でも、と彼女らは話し合った。サリナは本当は、そんなことをする娘ではない。知らせに来た時も、事情を話せないことをひどく申し訳なさそうにしていた。きっと、やむを得ない相当な事情があったのだ。彼女らはそう結論づけ、時折ダリウたちのところへ届くという手紙の内容を聞かせてもらっては、安心したり心配したりしていた。
 だから、彼女らは帰って来たサリナを心から歓迎し、そして大変な何かを抱えているらしいサリナに、なんでも協力しようと思った。ステラとユリエという名の、同じくサリナと共通の友人であるらしい少女たちも、マリカと同じだったという。
「……いいもんだな、友だちってのは」
「え?」
 ぽそりと呟いた言葉は、幸いマリカには聞き取られなかったらしい。短く息を吐き出して、クロイスは前を向く。
「なんでもねーよ」
「なによ、それ」
 呆れたような口調のマリカの目の前を、青白く光る羽虫のようなものが飛んだ。マリカは手で払おうとしたが、すいとかわされてしまった。羽虫はクロイスのそばで漂い始めた。
「クロイス、何か虫が」
「あん?」
 振り返って、クロイスは驚いた。スペクタクルズ・フライだ。カインが何かのメッセージを持って来た。
 クロイスはそのメッセージを聞いた。訳がわからなかったが、とにかくスモークディアを狩ってほしいらしい。スペクタクルズ・フライはメッセージを伝え、空中で消えた。
「消えた……」
「消えましたね」
 不思議そうなマリカとダグに、クロイスは手短に説明した。仲間がメッセージを送ってきたと。
「スモークディアを狩ってこいとさ。なんで燻製なんて作るんだか」
「わからないけど、重要なんでしょ? 探しましょ」
 と話していたら、ダグがその大きな腕を伸ばして、前方を指差した。
「いましたぜ!」
 クロイスとマリカは驚いてダグの指差す方向を見た。そこには、灰色の毛皮の大きな鹿の姿が確かにあった。本来なら餌となる木の実や草花が豊富にあるはずの時期に、鹿は餓えているようだった。
「こんなタイミング良く――わりいな」
「え?」
 マリカは猟銃を構えようと、背中から取り出したところだった。しかしその時には、既に前方の鹿はその身に矢を受け、地に倒れていた。驚いてクロイスを見ると、少し申し訳なさそうな顔をしていた。餓えをしのぐために餌を探していた動物を狩ったことが、彼の心を痛めているように見えた。
 そう感じると同時に、マリカはクロイスの狩りの腕に驚嘆した。こんなに速い狩りを、彼女は見たことが無かった。
「……すごいわね」
「まーな」
 短く答え、クロイスは倒れた鹿の許へ進む。ダグに担がせて、村へ戻ろう。彼はそう考えていた。事態が何か動いた。間違いないと、彼は確信する。カインがスペクタクルズ・フライを送ってきた。このスモークディアは重要な意味を持つはずだ。早く村に届けなければならない。
 フェイロンの異変を止め、蒼霜の洞窟を調査し、幻獣に会う。そのために出来ることを、彼らは迅速に行う。出発は明日。今日中に、全ての準備を完了しなければならない。焦りを抑え、クロイスはダグに指示を出した。