第99話
フェリオの強力な弾丸が怪魚の鱗を貫き、魔物は浮遊能力を失って氷の地面に倒れた。次なる標的を狙うべく、フェリオはその方向に銃口を向ける。しかしついさきほどそこで奇怪な咆哮を上げていた紺碧のマナを纏って浮遊する巨大なウツボのような魔物は、高く跳躍して洞窟の天井を蹴り、急降下したシスララによって、オベリスクランスの露とされていた。 「やれやれ……」 呟いて、フェリオは長銃を下げた。吐く息が白い。カインナイトの鉱床が近いとはいえ、以前はここまで寒くはなかった。やはりマナの暴走が影響しているのだろう。 「魔物が強くなってきたな」 水のマナが濃くなってきている。それに伴って、マナの影響を強く受けた魔物が現われ始めていた。種類は同じでも、その身に纏う、あるいはその身で操るマナの強さが段違いだ。 「うん。ラムウの時と同じだね」 氷の刃を巧みに操る氷の魔人のような魔物を鳳龍棍の一撃で砕いたサリナが、険しい表情でそう言った。雷帝の館でも、ラムウの許に近づくに連れて魔物の強さが増した。今の状況は、その時とよく似ていた。 「でも、この先が幻獣様のいらっしゃる場所だとは限らないのでしょう?」 ソレイユにスモークディアを与えてその頬を撫でながら、シスララは僅かに眉根を寄せた。槍を身体の横に、縦に持っている。オベリスクランスはシスララの細い身体には不釣合いな大きな槍だが、そのアンバランスさが彼女の強さを際立たせていた。 「ああ。鉱床の先は調べてないから、どうなってるかはわからない」 「もっと奥もあったの?」 意外、という顔をしたのはサリナだった。 そのサリナを見て、フェリオは吹き出した。 「えっ」 驚いて、サリナは目をぱちくりさせた。フェリオがなぜ笑ったのかわからなかった。思わず彼女は、右手を口に持っていく。 するとフェリオはそれを見て、ますます笑い声を高めた。 「え? え?」 混乱するサリナの隣りで、シスララも小さく笑う。サリナはフェリオとシスララの顔を交互に見るが、それだけではやはり理由はわからなかった。 「あの、ふたりとも、どうして笑うの……?」 わけもわからず赤くなる顔を自覚しながら、サリナは訊ねた。答えてくれたのはシスララだった。 「うふふ。それはね、サリナが可愛いからよ」 「え? ……え?」 なぜ突然そんなことを言われるのかと、サリナはまごついた。さきほどまでと、何か変わっただろうか? それに……フェリオもそう思っているのか……? 顔が熱いのをどうすることも出来ず、サリナはフェリオの笑いが収まるのを待った。フェリオも腹を抱えて笑っているわけではないので、その時はすぐに訪れた。 「サリナ、その手袋に帽子……君、いったいいくつだ?」 まだ笑いの残る声と顔で、フェリオはそう言った。はっと気づいて、サリナは手袋を見た。 それは出発の直前、エレノアが持たせてくれたものだった。昔から村でも、寒い季節に使っていたものだ。5本指の手袋ではなく、いわゆるミトンの形をしたものである。風が通らず、手の熱も逃げないのでとても暖かい。今回のために、エレノアはそれに滑り止めの加工を施してくれていた。鳳龍棍を持っても滑らず、さきほどの戦闘でも何の不便も無かった。 ただし、手の甲の部分の可愛らしいクマさんのイラストが、そのまま残っていた。 帽子のほうは、耳当て付きでこれも暖かい逸品だ。両耳当ての部分から、顎の下で結べるように紐が垂れ下がっている。その紐の先端と、帽子の頭領部に当たる部分に、毛糸で編まれたぼんぼりが付いている。 そして帽子の正面には、やはり可愛らしいクマさんがいた。 「こ、これは、その!」 全てはもはや遅かった。洞窟内の寒さが増してきたので、懐に忍ばせていたそのふたつの奥の手を使ったのだが、寒さをしのぐことに必死でクマさんのことを失念していた。 「その、あの……む、むかし、クマさんが好きで……」 混乱してそんな弁解をしたが、それはフェリオとシスララを余計に笑わせるという最悪の事態を招いただけだった。もはや慙愧に耐えない思いで言葉を発することもできず、サリナはただただ真っ赤に染め上げた顔を、洞窟の青味を帯びた地面に向けるのみだった。 「うふふ。サリナは、ほんとに可愛いわね」 そう言って、シスララが帽子の上からサリナの頭を撫でた。そして彼女は、洞窟の奥を向いて足を進めた。ソレイユが首だけで振り返り、サリナに呼びかけるように小さく啼いた。 「さ、行こう」 続いて、フェリオが帽子の上から、サリナのあたまにぽんぽんと手を載せた。恥ずかしさで動けないサリナに、彼は言った。 「それ、いいと思うよ。暖かそうだし、似合ってる」 「うう……ありがとう……」 なんともいえない気持ちで、サリナはフェリオに続いた。だって寒いのだ。仕方がないではないか。手が冷えると、棍を握るのにも力が入らなくなる。戦いにくくなるよりは、ずっといい。そう自分に言い聞かせて、サリナは足を踏み出した。 ところどころ、水のマナによる障害が生まれていた。分厚い氷の壁や、地面に生まれた無数の大きな棘のような氷などが、行く手を阻んだ。氷の壁はフェリオの火炎放射器で溶かし、棘の床はサリナとシスララが破壊しながら進んだ。 魔物も多く出現した。以前はいなかった凶暴な個体に、フェリオは顔をしかめた。 鋭い氷柱が天井からいくつも垂れ下がっていて、それを折っては投げつけてくる3匹で1組らしい魔物がいた。紺碧の猿のようなその魔物たちは、1匹が跳躍して氷柱を折り、1匹がそれを受け取って、残る1匹が手渡された氷柱を投げつけてくるというコンビネーションを見せた。 素早いコンビネーション攻撃に手を焼き、サリナたちはなかなか近づけず、フェリオも回避に手一杯で銃の照準を定められず、攻撃を仕掛けられずにいた。氷柱は無数にあり、それが尽きるのを待つわけにもいかなかった。 「手数が多すぎますね……」 オベリスクランスを短く持ち、シスララは回避を繰り返しながら呟いた。攻撃には接近戦しか持たない彼女は、同じく接近戦のサリナに素早く目配せをした。 「うん……わかった!」 シスララの意図を読み取り、サリナは地を蹴る。 そこに、魔物の奇声と共に氷柱が飛んでくる。走りながら、サリナはそれを回避する。しかし避けた先に、すぐさま別の氷柱が飛来する。サリナはそれを、鳳龍棍で打ち落した。氷柱は砕け散って宙を舞う。 同時に、シスララも走っていた。魔物は彼女にも氷柱を飛ばした。猿たちのコンビネーションは途切れることなく、次から次へと氷柱が飛んでくる。猿たちは不愉快な笑い声を上げながら、その執拗な攻撃を繰り返す。 「ソレイユ、お願い!」 シスララの肩から、ソレイユが甲高い咆哮を上げながら飛び立った。小型の飛竜は、氷柱をかいくぐりながら飛ぶ。それに氷柱を投げる係りの猿は驚き、瞬間的にソレイユに標的を絞った。 そこにサリナが、神速の風となって接近した。ソレイユに気を取られた猿には、大きな隙が出来ていた。サリナとシスララ、そしてフェリオの3人しか認識していなかった、猿たちのミスだった。 氷柱を投げる猿は、サリナの回転撃に吹き飛んだ。氷柱を天井から調達する猿は、ソレイユの高速体当たりと、シスララのオベリスクランスでの一撃に沈んだ。氷柱を手渡す係りの猿は、倒された2匹の仲間をおろおろと見ているうちに、フェリオの弾丸によって地に伏した。 「ふう。大変だったあ」 「3匹だけで良かったな。あれ以上いたら手に負えなかったかもしれない」 「そうですね……。奥にたくさんいたりしたら、どうしましょう」 あまり大変そうではない口調のシスララの発言に、サリナとフェリオが変な声を出す。あの猿の魔物が大勢で現われる場面は、想像したくなかった。 その後、サリナたちは順調に進んだ。相変わらず魔物は出現し、水のマナによる障害物も発生していた。どういうわけか地面に大穴が開いていて、そこに凍った水が張られていた。水は人間の体重を支えるに十分な強度を持っていたが、いかんせん表面がやや溶けつつあり、滑りすぎた。 サリナはそのずば抜けた身体能力で、滑る氷の上を難なく通過した。シスララはソレイユの助けを借りて、いつもは垂直に跳躍するのを水平方向に転換して氷を超えた。そんな芸当の出来ないフェリオは氷の上で派手に転倒し、かつて無かった精神的打撃を被ることになった。 結局彼は、サリナに浮揚の魔法を使ってもらって、なんとか氷を越えた。 「くそ……あんなのがあるなんて……」 毒づきながら腰をさするフェリオの横で、サリナとシスララは笑いを堪えるのに必死だった。 洞窟を覆う水のマナの気配はますます高まり、そして遂に、彼らはそこに到着した。 「凄い……」 暖かい防寒着の下で鳥肌が立つのを、サリナは自覚して震えた。 そこは紺碧に輝く無数の水晶に囲まれた空間だった。マナの光が水晶に反射し、無数の煌きとなって洞窟を彩っている。温度はやはり低い。精製されていないとはいえ、カインナイトの鉱床なのだ。 「きれい……でも、なんだか……怖い」 口に手を当てて、シスララは呟いた。その冷たい紺碧の光は、どこか凄惨な趣きさえあった。ぞくりとするほどの美しさに、シスララは言葉を失う。 「なんだ、これは」 フェリオは茫然としていた。そこは、彼の記憶にある場所ではなかった。 「どういうことですか?」 訊ねるシスララに、フェリオは一度頭を振ってから答えた。 「こんなにマナの影響の出ている場所じゃなかった。いくつもの可能性の中から、苦労して見つけた鉱床なんだ。こんなにわかりやすいなら、誰かがとっくに見つけてたはずだ」 フェリオは顔をしかめていた。彼にとってかけがえの無い鉱石が眠るこの地が、悪しきマナに蹂躙されている。それが彼には、許せなかった。 「カインナイト原石のマナが暴れてる。このままだと、あの川の水よりずっと熱を奪うマナが、溢れ出ることになるぞ」 歯を食いしばり、フェリオはサリナとシスララにそう告げた。ふたりが声を失うのがわかった。特にサリナにとっては、それは故郷が滅ぶことを意味している。彼女の心に、更なる焦燥感が生まれるのを、フェリオは感じた。 「探そう、奥へ行く道を」 しかし極力落ち着いた声に聞こえるようにして、サリナはそう言った。フェリオは驚いて彼女のほうを見た。ごく僅かだが、震えているのがわかった。それは寒さのためではあるまいと、彼は思った。 「ああ。急ごう」 「はい。ソレイユ、手伝ってね」 シスララがそう言って、ソレイユにスモークディアを与えた、その時だった。 鉱床の奥から、凄まじい咆哮が轟いた。 4人で進むのは、難しい行程ではなかった。魔物は出現したが、彼らにとってはそれほど手こずる相手でもなかった。だが、水のマナの刃や弾丸のようなものを無限に発射してくる蝙蝠の大群には、やや手を焼いた。 |