第12話

 スピンフォワード兄弟の家は広かった。ふたりの話によると、母、レナ・オーバーヤードの親戚が与えてくれたのだという。フェリオの研究には蒸気機関はもちろんその他様々な大型の機械類が必要なたため、この広い部屋には助かっているだろうとセリオルは考えていた。サリナとセリオルが泊まっても窮屈感はまったく無かった。ふたりが宿泊の礼にと腕を揮ったフェイロンの料理も好評で、昨夜は楽しい晩餐になった。
 家も広かったが、スピンフォワード邸には地下室も存在した。地上の家と同じだけの面積で、天井が高い。レナの親戚は相当な金持ちだったのかとサリナは推測したが、シドの伝手で職人を使って造ったものらしい。生計を支えるカインの鍛錬のため、という理由とふたりは話し、確かに標的用の人形のようなものも並んでいたが、その鍛錬が通常の意味でなかったことは目の前の光景から明らかだった。
 カインがリストレインの鎧を身に着けている。対峙するのはサリナだった。彼女は左腕の手首のあたりに、旅立ちの時に受け取ったリストレインを装備している。身に付けてみると、不思議なことに真紅のリストレインはサリナの腕にぴたりと密着した。元は大きめだったものが、瞬時に大きさを変えたのだった。
「クリスタルの中の幻獣と会話するんだ」
 パリパリと微細な稲妻を身体の表面に走らせながら、カインは静かに説明した。
「真紅のリストレインが君にサイズを合わせたってことは、君には炎の幻獣と“共鳴”する力があるってことだ。まずは目を閉じるんだ。心と身体の真ん中に意識を集中する感じってわかるか? 自分の中を見つめるっていうか。そうやって気持ちを集めると、幻獣と意識が通じるはずだ」
「やってみます」
 昨夜、晩餐の席でセリオルからカインに依頼したことだった。リストレインとアシミレイトについてサリナに教えてやってくれないか、と。セリオルも研究の段階で理屈は理解していたが、実行した経験は無かったためだった。必要になったタイミングで自分から伝えなければと思っていたアシミレイトについて、経験者からのアドバイスをもらえることになったのは僥倖だった。
 両腕を伸ばして右手で左手首のリストレインに触れるようにし、脚は肩幅に開いた姿勢でサリナは両目を閉じた。身体の真ん中、心の真ん中。ファンロン流の精神統一に似た感覚で、サリナは意識を集中していった。
 目を閉じて気持ちを集中させる時、サリナの頭の中に雑念は一切存在しなくなる。これは日頃からの鍛錬の結果と言えた。そのためだろう。カインが驚くほどに、サリナの“共鳴”は早く始まった。
「おお、早いな」
「ええ」
 セリオルの前で、サリナのリストレインが光を発し始めた。柔らかく暖かな、真紅の光。それは薄い光の膜となって左手首から広がっていき、やがてサリナの全身を赤い光が包み込んだ。
「“共鳴”だ」
 自分の意識の暗闇の中へ、サリナは深く深く進んでいった。水の中を泳ぐような感覚。もしくは空を飛ぶ感覚に似ているかもしれない。意識の海、あるいは空は暗く、目印となるものは何も無い。しかし彼女には終着点がわかっていた。ある一点に向けて、彼女は泳いでいった。
 何の抵抗も感じない自分の意識の中。外界の一切は彼女から断絶され、全てが彼女の意識に取り込まれていった。万物と同化した彼女は、やがて仄赤い光を見つけた。ゴールだ。彼女はゆっくりとだが確実に、光に向かって進んでいった。
 赤いドラゴン。やや大型の犬くらいの大きさで、四足である。背中に一対の翼を生やし、頭部には小さな角が2本、にょきりと顔を覗かせている。尻尾は太く、瞳の色はエメラルドだった。
(こんにちは、サリナ)
 元気な少年のように溌剌とした、それでいて蜃気楼の遠くから響いてくる幻聴のように幽かな声。初めて聞く、感じる、幻獣の声。どこか懐かしく、サリナには感じられた。不思議と安らぐ声。
(元気かい?)
 元気です、とサリナは答える。もちろん声は出ない。幻獣が笑ったような気がした。サリナは尋ねた。あなたのお名前は?
(僕はサラマンダー。燃え盛る火炎の化身。炎の幻獣、碧玉の座)
 よろしくお願いします、サラマンダー。私に力を貸してくれますか?
(もちろんさ。そのために僕はクリスタルに転位したんだよ。ほら、行こうよ。目を開いて)
 エメラルドの瞳がいたずらっぽく輝く。サラマンダーの発する赤い光が強まる。サリナの意識は、表層へ向けて急激に浮上した。ぱちりと、彼女の両目が開かれた。
「輝け、私のアシミレイト!」
 サリナの声と同時に、リストレインが変形した。サリナを守る鎧へと変貌を遂げる。強烈な真紅の光。膨大な量のそれが溢れ出す。額に巻きついたリストレインに、クリスタスが輝いている。次第に光は薄れ、そこには炎を纏った真紅の戦士がいた。
 自分の身体を見下ろして、サリナは溢れてくるエネルギーの奔流に驚いた。身体を動かす力、速度。今ならいくらでも、思いのままになるのではと思われた。
 身体を回転させつつ、サリナはその攻撃を回避した。視界に入ったのはカインの鞭だった。恐るべき速度で飛んできたその一撃を、サリナは自分が意識するよりも速く避けていた。意識が追いついた時に彼女が考えたのは、この信じられない反応速度をいかにして制御するのかということだった。
「いやいや、大したもんだ」
 不意の一撃を繰り出しておいて、何も無かったかのようにカインが呟いた。
「ちょちょ、危ないじゃないですかあ」
「はっはっは。まあいいじゃないか。たぶんかわすだろうと思ってやったんだ」
 憤然たるサリナの抗議は完全にいなされ、カインのからからとした笑い声だけが残った。苦笑しているセリオルを見て、サリナはセリオルが危険だと思わなかったんだったらいいか、と他人事のように考えた。
「んじゃ、ちょっとだけやってみようぜ」
「はい」
 アシミレイトした者同士の組み手は驚異の速度で行われた。はじめはサリナを慣れさせるためにほどほどにしていたカインも、徐々に手を緩められなくなっていった。サリナの習熟は速く、彼は舌を巻いた。元々抜きん出た武術の才能があったサリナは、強化された自分の感覚を瞬く間に掴み、コントロールしていたのだった。カインの余裕は無くなっていった。
「よよよよし、こんなもんだろ」
 何度目かのひやりとする一撃を回避した時、サリナに手のひらを向けて、カインは宣言した。が、時既に遅し。
「え」
 セリオルが危ないと叫んだ。急に止まったカインに対して、サリナは急に止まれなかった。繰り出した回し蹴りはそのまま止まることなく、カインの腰に炸裂してしまった。
「ゲフン」
 何メートルか転がって、彼は停止した。
「うわわわわ、ごめんなさい!」
 サリナとセリオルが駆け寄ると、意外にあっさりとカインは立ち上がった。リストレインの鎧による防御のおかげだろう。
「カインさんごめんなさい、私急に止まれなくて」
「いやいいんだ、気にするな。昔から言うもんな。飛び出すな、サリナは急に止まれない。いたた」
「それチョコボですよ」
「そうかチョコボか。まあいいや。それよりちょっと幻獣呼んでみようぜ」
 腰をさすりながら、もう一方の手でカインは額のクリスタルに手をかざした。すると紫紺のクリスタルは音も無くリストレインから分離した。空中でクリスタルは輝きを増し、やがて形を失って光の塊となった。その光の中から、野盗の砦で見た鉤状の角を持つ馬のような幻獣が現れた。
「俺の相棒。雷の幻獣、碧玉の座、イクシオンだ」
「お初にお目にかかる。サリナ・ハートメイヤー、セリオル・ラックスター」
 イクシオンは緑青色の毛並みを煌かせ、流暢に人語を操って挨拶をした。カインによると、クリスタルとなっている間も幻獣たちは意識があり、外の世界を見ているのだという。ということはこれまでの自分の言動も見られていたのかと、サリナは少し恥ずかしくなった。とはいえ元来、幻獣はエリュス・イリアの守護神である。神様とはそういうものかもしれないと、彼女はそう思うことにした。
 自己紹介の後、セリオルがイクシオンと話し始めた。幻獣研究所、ゼノアという言葉が聞こえてきて、サリナはまた強い怒りを覚えそうになるのをこらえた。
 カインが促し、サリナも額に手をかざしてみた。心の中でサラマンダーに呼びかける。するとクリスタルがリストレインから分離し、サラマンダーが現れた。燐光を発する赤きドラゴンは、ぐっと伸びをした後にあくびをし、円を一蹴描くように駆けてからサリナたちに向き合った。
「やあ、サリナ。それにカイン。セリオルは、久しぶり。イクシオンは……もっと久しぶりだね」
 光り輝く2体の幻獣がすぐそばにいる。サリナは胸が高鳴るのを抑えられなかった。
 エリュス・イリアを見守る守護神、幻獣。創生物語も統一戦争も、サリナにとっては御伽噺の世界だった。はるか昔から、このエリュス・イリアに大いなる加護をもたらしてきた、偉大なるマナの守護者。
 真紅と紫紺、2色の光は神々しく、幻獣の威厳を知らしめていた。サラマンダーも口調は少年のようだが、年輪を重ねた深く豊かな知性を感じさせる。サリナ以外のふたりは幻獣との会話に慣れているようだったが、サリナはなかなか会話の輪に入ることができなかった。
 サリナの様子を察して、セリオルがサラマンダーを改めて紹介した。
「昔、私がまだ幻獣研究所にいた頃。彼は我々の研究に協力してくれた数少ない幻獣のひとりだったんですよ」
 リストレインとアシミレイトの研究に、幻獣の存在は欠かせなかった。基本的に幻獣たちは、人間がアシミレイトの秘術を解明することに否定的だった。幻獣が選んだ限られた人間だけが使用可能な技術であるべきだと、彼らは考えていた。そんな中にも、人間との共栄を認める幻獣もいた。サラマンダーはそのひとりだった。
「サリナ」
 セリオルの説明が終わった時、サラマンダーがサリナに声をかけた。
「エルンストを助けよう。彼は、人間と幻獣両方のことをよく考える人だ。これからの世界に必要だよ」
「うむ。ゼノアという人間の暴走にハデスが力を貸したとあれば、我々幻獣にとっても捨て置けん。私も力を貸そう」
 幻獣たちの言葉にサリナは深々と頭を下げた。胸が詰まる思いだった。
「ありがとうございます!」
 幻獣たちは大きく表情を変えはしなかったが、頭を上げた時、サリナにはふたりが微笑んだような気がした。光が笑うことは無いだろうが、真紅の光と紫紺の光が柔らかくなったように思えた。
 幻獣たちがクリスタルに戻り、サリナとカインの額に再び収まった。
「ま、今日はこんなもんか。疲れたな」
 カインがアシミレイトを解除した。紫紺の光が消え、リストレインは鞭のグリップに戻った。クリスタルの中にイクシオンの瞳が光るのを見た気がした。
 ふと我に返って、サリナは自分の身体を見下ろした。そういえば。
「あの、アシミレイトの解除はどうすれば?」
「幻獣に言えばいいのさ、心の中で。終わりだ、ってな」
 答えたのはカインでもセリオルでもなく、フェリオだった。言い終わると同時に、彼は地下室への梯子を降りて着地した。珍しいことに、笑顔である。
「おう、おかえり。どうだった?」
「竜王褒章の受賞が決まった」
 その言葉を聞いたカインは、きっかり10秒間、時間が止まったかのように停止した。その後、彼はあらん限りの声でこう叫んだ。
「んななななな、なんだってーーーーー!!」

 竜王褒賞。科学研究の分野できわめて優れた功績を修めた人物に、イリアス王国国王から直々に授けられる褒章である。イリアス王国統一後に設けられた制度で、文化的な分野で事績著明なる人物に送られる鳳凰褒賞と並んで称される。その栄誉ある褒章を弟が受けたことに、カインは上機嫌の極みだった。
「いやいや、俺ぁわかってたんだよ。フェリオはいつかやるってさ。いやほんとだぜ?」
 ロックウェルのレストランで昼食をとりながら、カインは早くも酔っていた。祭りだ祝杯だと料理や酒を次々に注文している。フェリオはというとそんな兄に苦笑しながらも、自分の功績を喜んでくれることを素直に嬉しく思っていた。
 シドの家で自ら明かしたように、カインはこれまでひとりでフェリオの面倒を見てきた。まだ幼かったフェリオを食わせるために、稼ぎは多いが伴う危険も多大な魔物ハントという仕事を選び、常に自分を危険に晒すことで弟を守ってきたのだった。彼の最大の望みは、フェリオが蒸気機関技師として大成することだった。
 蒸気機関技師としてはまだシドから一人前の認可をもらっていないが、今回の新鉱石の発見は蒸気機関そのものの技術向上に役立つ大きな成功だった。カインはそれを喜んでいるのだった。
「この調子ならシドのおっさんから独り立ちの認可をもらうのも時間の問題だな。はっはっは」
「それはまだわからないけど、いずれにしても大手を振って王都に行けるな」
「竜王褒章は国王直々の授章になりますからね」
 過去、セリオルも竜王褒章を受けたという。その時セリオルはまだ少年だったが、幻獣と天文学に関しての論文での受章だった。幻獣研究所に入ったのはそれがきっかけだったと彼は語った。
「おめでとう、フェリオ」
 サリナは同い年の技術者を心から祝福した。見たことの無かったフェリオの笑顔が、彼女には嬉しかった。今日は時間を忘れて祝い明かしたいと思っていた。慣れない酒を少しだけ飲んで、サリナの頬はほんのりと上気していた。
「ありがとう」
 答えたフェリオも、サリナとわだかまり無く会話できるのを歓迎していた。間違いを認め、きちんと謝罪をして良かったと思った。
「おやおや、おやおやおやあ?」
 酔っ払ったカインが割り込む。彼はサリナとフェリオの頭を掴んで揺さぶった。すぐにフェリオに払い除けられるも、酒という味方を得たカインは無敵だった。
「おふたりさん、なんかアヤシイですぞお? ひゃひゃ」
「何言ってんだ、この馬鹿兄貴」
「照れるな照れるな! ほら、サリナの顔真っ赤じゃねえか」
「こ、これはその、お酒が」
「ひゃひゃひゃ。いいじゃねえの、俺ぁ応援するぜ! なあセリオル!」
「そうですね」
 なんとなく、セリオルはぴりっとしているとサリナは思った。
「まったく。しょうがないな」
 誰かれ構わず声をかけて弟の自慢をするカインを制止しながら、フェリオはそれでも嬉しそうだった。
「そういえば、フェリオもリストレインとクリスタルを持っているんですか?」
 酒のグラスをことりとテーブルに置いて、セリオルが質問した。カインはもう放置することにして、フェリオは席に戻った。
「ああ。こいつだ」
 腰布の下からフェリオが取り出したリストレインは、小銃のホルスターのような形をしていた。銀灰色のリストレインに、クリスタルが嵌っている。
「俺のは力のリストレイン。幻獣はアシュラウルって言って、白毛の狼みたいなやつだ。今度紹介するよ」
「力のリストレイン……。ずっと気になっていたんですが、ふたりはどこでリストレインとクリスタルを手に入れたんです?」
 セリオルはじっとフェリオを見つめて訊いたが、フェリオにはその視線の意味がわからなかった。
「兄さんのは母さんから、俺のは父さんからもらった。どうしてだ?」
「私の知る限り、今現在所在のはっきりしているのは、炎、風、地、聖、闇の5つのリストレインです。雷と力、そして水のリストレインは幻獣研究所ですらその在り処を把握していなかったはずなんです」
「ああ、そういうことか。あなたは知ってることだと思ってたけど、違ったんだな」
「というと?」
「昨夜、兄さんと話した。父さんと母さんがこいつを俺たちにくれた時のことだ。ふたりは、やがて来る危機に備えてこれを渡しておくって言ってたらしい。俺は子どもだったから、実はあまり覚えてないんだけど。ゼノアってやつの企みを止めようとしたんだろ、父さんと母さんは」
「なるほど……。あの時、ルーカスさんとレナさんは既に雷と力のリストレインを既に発見していたんですね。君たちにそれに共鳴する力があったから、自分たちにゼノアの危険が迫っていることを知ったふたりは、リストレインを君たちに託した――こういうことですか」
「おそらくね」
 セリオルは空を見上げた。昼下がりの、群青色の空。怒りも、悲しみも、憎しみも、そこに全て吸い込まれていけばいいと、彼は願った。
「ま、なんにしても明日は風の峡谷へ出発だ。今日はしっかり休んでおこう」
「ええ、そうですね」
 きゃいきゃいと騒ぎまわるカインとそれを止めようと奮闘するサリナを眺めて、セリオルは微笑んだ。

挿絵