第134話

 不気味だった。そして醜かった。
 幻魔。それは王都の狂える天才、ゼノア・ジークムンドが生み出した、人工幻獣。幻獣と同じようにマナを纏い、マナを操る、神なる光を持つ魔物。戦闘能力では瑪瑙の座の幻獣たちに劣らず、エリュス・イリアの守護神たる幻獣たちの精神を乗っ取り、操る力を持っている。
 聖の幻獣、瑪瑙の座。白き竜族の守り神、清らかな翼を持つ美しき聖霊、セラフィウム。力を失い、今はただ静かに眠るその幻獣を操った、背徳の化身。罪の十字架か、あるいは審判の天秤か。頭部を貫き、巨大な口腔をも貫通して顎の下へ突き出している。
 その姿は、まるで巨大な人間の姿を模したプリン族のようだった。毒々しい黴のようなものに覆われた体表は気味の悪い粘液でぬらぬらと光り、頬まで裂けた口からは絶えず汚らしい涎がこぼれている。その背には幻魔本体には似つかわしくない、鈍い金属色の鎌状触手。さきほどまでの攻撃の正体と思われる触手は、こちらの隙を窺うように蠢いている。
「き、気色わりぃ……」
「ゼノアの造形センスか、これは……」
 スピンフォワード兄弟は、その不気味な幻魔の落ち窪んだ目――眼球は見えない――を極力見ないようして、感想を漏らした。
 憑依していたセラフィウムから引き剥がされ、醜悪な幻魔は怒りに燃えていた。その醜い姿とは裏腹に、その身が放つ光は純白だ。聖のマナを宿せし幻魔は、その口から涎とともに、煙のようなものを漏らしていた。
「あ、危ない! みんな、離れて!」
 それを鋭敏に察知したのはサリナだった。警告に反応し、仲間たちは素早く幻魔から離れた。
 直前までセリオルたちのいた場所を、恐るべき速さのマナが貫いた。それは幻魔の口から放たれた、砲弾のように圧縮されたマナ攻撃だった。純白の閃光が走ったと思った瞬間には、その攻撃は地面を穿っていた。
 大きな穴が開いた。美しかった草花は舞い、その命を儚く散らした。地面は抉られ、聖のマナを宿した土が、仄かな薄桃色に一瞬光り、すぐに色を失った。
 その攻撃に、サリナは戦慄した。何の準備も見せず、敵はその攻撃を放った。サリナが察知出来たのは、単なる幸運だった。幻魔の口から漏れる煙、それを視認出来たからだ。角度が違えば、見えなかっただろう。
 仲間たちも同じだったようだ。一様に顔を青くしている。
「魔の理。力の翼。練金の釜! バシャイン!」
 セリオルが聖水と聖のマナストーンを取り出し、素早く調合を行った。純白のマナが新たな力を生み出し、仲間たちに聖のマナに対する守りを与える。
 サリナもそれに続いた。防御、守護、堅守、幻影の魔法を一気に詠唱する。守りを固めなければならない。敵の攻撃力は、想像以上だ。
「ぐふふ……ゼノア様に盾突きし愚か者どもが」
 それはまるで、破滅を讃える歌のような、不気味で忌まわしい声だった。サリナたちを嘲笑し、幻魔は涎と共に声を吐き出す。
「貴様らのことは、ゼノア様よりお聞きしている」
 その名を口にすることが誇らしいのか、敵はその巨体をやや逸らし、サリナたちを睥睨した。
「我が名はキュクレイン。ゼノア様より命を賜りし、聖の幻魔。ゼノア様の崇高なる実験の邪魔をしようと言うのなら、この場で消し去ってくれる!」
「うるせえ! お約束どおりのこと言ってんじゃねえ!」
 先にカインが仕掛けた。ラムウの迸るマナを宿した鞭が、雷の蛇となってキュクレインに襲いかかる。
 迎え撃ったのはまたしても鎌の触手だった。千尋の大蛇がごとくのたうつ雷撃の鞭は、幾本もの不恰好な鎌によって防がれた。その接触のたびにマナが飛び散り、高圧の雷に大気が焦げる。
「小賢しいわ!」
 カインは我が目を疑った。一瞬にして、キュクレインの鎌が倍以上の数に増えた。それは1本1本の鎌が2本、あるいは3本に分裂したためだった。手数で、カインは競り負けた。鞭を弾かれ、彼はたたらを踏んだ。
 舌打ちをし、カインは後ろへ下がった。仲間たちの攻撃に巻き込まれないために。
 黒き闇のマナを帯びた矢が、マナ弾が、岩弾が飛来した。カインの大振りの攻撃が、それらをキュクレインの視界から隠していた。シスララがマナの舞によって与えた闇のマナは、幻獣たちのマナと合わさった。クロイスの矢は水と闇のマナを、アーネスの岩弾は地と闇のマナを持ち、フェリオのマナ弾は闇のマナを増幅した。それらの攻撃が、雨となってキュクレインに降り注いだ。
 驚きと怒りに吠えながら、聖の幻魔は鎌を振るった。それは目に留まらぬ速さで荒れ狂い、襲いかかる闇のマナを迎撃した。
 だがそれが狙いだった。キュクレインの触手が防御で手一杯になることが。
 大きな音が響いた。それに気づいた時、キュクレインの巨体は闇の炎に焼かれていた。
 マナの嵐の影で、サリナが動いていた。彼女は脅威のスピードで幻魔に接近した。響いたのは、その踏み込みの音だった。
 解放されたサリナのマナが、サラマンダーのマナと融合していた。そこにシスララが付与した闇のマナが合わさった。その結果、立ち昇る黒き炎が、輝く鳳龍棍に宿った。
 放たれた一撃が、キュクレインの身体をえぐった。醜い幻魔は、いかにも哀れな声を上げてのたうった。そこへさらに、フェリオたちによる遠隔攻撃が追い討ちをかける。キュクレインは悲鳴を上げた。鎌は振るわれず、ただその触手が繭のように巨体を覆い、必死の守りとなっていた。
「爛れの塵、不浄の底の澱となり、死へ至らしめる熱病を生め――バイオ!」
 病毒の魔法が放たれた。それはフェリオの魔法銃へ吸収され、増幅された。狙いを定め、フェリオはトリガーを引いた。
 黒き閃光が、セラフィウムの御座に奔った。空間を切り裂き、その闇のマナはキュクレイの繭に激突した。闇と聖のマナがぶつかり合い、漆黒と純白の爆発が起こる。キュクレインの悲鳴があがる。
「なんだおい、口ほどにもねえな」
 マナの嵐が去り、キュクレインの姿が再び露わになった。鎌の繭に大穴が開いている。触手はずたずたに引き裂かれていた。
「カイン、とどめを!」
 セリオルの鋭い声が飛ぶ。彼は警戒を解きはしなかった。それはカインとて同じだったが、彼には若干の油断があった。大見得を切っていたキュクレインが目の前で簡単にぼろぼろになったことが、カインを拍子抜けさせていた。
「おう、そうだな!」
 とはいえカインは一行の中で、アーネスと並ぶほどの歴戦の強者である。自分の中の油断を意識から遠ざけ、彼は鞭を構えた。
「食らいやがれ! 雷の蛇!」
 新たな鞭、鮮やかな朱色のレッドスコルピオンに、雷帝のマナが宿る。紫紺の輝きを湛える朱色の鞭は、マナの力で雷の大蛇となる。その痛烈で激烈な一撃が、不浄なる幻魔に打ち付けられようとしていた。
 カインは腕を振り上げた。激しい雷のマナがバチバチと弾ける。それが振り下ろされれば、勝敗の行方は大きくこちらに傾くだろう。幻魔は動かない。カインは腕を振り下ろした。
 だが彼の腕は、大きく上げられたまま、下がることは無かった。
 目視不可能な速さで、キュクレインの触手が伸びた。気づいた時には、カインの腕はその忌々しい触手に巻きつかれ、動きを奪われていた。サリナとアーネスが声を上げて地を蹴った。フェリオとクロイスはそれぞれに狙いを定め、攻撃を放った。
 だがそれより、幻魔のほうが速かった。
 キュクレインは何のダメージも感じさせない動きで、触手を使ってカインに接近した。恐るべき速度だった。カインはそれを、ほとんど認識出来なかった。
「馬鹿め」
 ただ彼が認識出来たのは、目の前まで迫った幻魔の顔だった。巨体を腰まで屈め、キュクレインはにんまりと笑っていた。眼球の無い落ち窪んだ目。涎を垂らす不愉快な口。その口腔に覗く、不気味な十字架の一部。そこまで認識したところで、彼の意識は途切れた。
 カイン・スピンフォワードは強力な戦士だ。速さではサリナやクロイスに、守りではアーネスに、一撃の攻撃力ではシスララに、彼は敵わない。だが彼は豊富な戦闘や狩猟の経験と巧みな鞭の腕、獣使いとしての腕、青魔法の力で、それらの能力差を感じさせない。彼は一行の切り込み隊長であり、戦闘の際は常に最前線に立ってきた。仲間たちは彼の強さを信頼していた。
 それはまるで、夢の中の出来事のようだった。その光景を、アーネスはどこか遠いところから見ていた。意識と認識にズレが生じていた。キュクレインの口が大きく開き、そこから純白の閃光が放たれた。恐るべき威力の光線が、至近距離でカインに浴びせられた。
 触手は、ゆっくりと離れていった。紫紺の光が消えた。雷帝のマナは、無念そうに虚空へと吸い込まれた。マナに焼かれ、カインの身体はどさりと倒れた。小さく可憐な花たちが、その身体を受け止めた。
「カイン!」
 ゆっくりと倒れ込んだカインを、駆け寄って起こしたのはアーネスだった。すぐにサリナが来て魔法の詠唱を始める。
「させん」
 だがそのサリナを、キュクレインの鎌が襲う。触れればマナを奪われることは間違い無い。練り上げかけたマナが散ることに歯噛みしなから、サリナは回避した。さらにその着地点へ、カインを焼いたのと同じ光線が発射される。サリナは神経を集中させて回避を続ける。自分があれを受けるわけにはいかない。回復の手が減ってしまう。
「てめええええええっ!」
 怒りに声を震わせ、クロイスは盗賊刀を構えた。シヴァのマナを滾らせ、渾身の攻撃を仕掛ける。
「裏技・フリーエナジー!」
 放たれた盗賊刀は凍てつく氷のマナを纏い、曲線を描いて飛ぶ。キュクレインはそれを鎌で防いだ。
 そこへ、フェリオの魔法銃で増幅されたセリオルの魔法が来た。病毒の魔法は、盗賊刀に気を取られたキュクレインの腹に炸裂した。幻魔の苦悶の声が上がる。
「ちょっと離れてて!」
 追撃はサリナだった。彼女はマナを解放し、攻撃を受けて隙が出来たキュクレインに接近していた。鳳龍棍は再び闇と炎に燃え、サリナはそれを自分の身体の一部であるかのように操った。凄まじい連続攻撃。突き、蹴り、棍による複合技が、マナと共に叩き込まれた。そしてとどめとばかりに、サリナは渾身の炎を放った。黒き闇を帯びた火炎は、キュクレインの巨体を軽々と吹き飛ばした。
「来たれ水の風水術、湧水の力!」
 アーネスは聖なる滝が含む水のマナを集めた。それはカインの傷付いた身体を優しく包む水球となり、彼の負った重大なダメージを癒す。
 だがカインは、すぐには目を覚まさなかった。幻魔の攻撃は、マナをも奪ったのだろうか。あの光線は魔法攻撃に似たもののように見えたが、幻魔は自らの身体以外での攻撃でもマナを奪うのか。
「カイン……」
 幸い、命に別状は無いようだった。呼吸もしているし、心音もある。負ったダメージがあまりに大きかったのだろうか。アーネスはどうしていいかわからず、ただ意識を取り戻さないカインをその腕に抱いていた。
「アーネス」
 自分の名を呼ぶ声に、地の騎士は顔を上げた。そこには、フェリオの背中があった。銀灰の光を纏い、魔法銃を構えている。魔法銃は2丁に分解されていた。通常の戦闘の際にフェリオがよく使う、2丁機関銃の姿。それがアシュラウルのマナの祝福を受け、銀灰に輝いていた。
「兄さんを頼む」
 そう言い置いて、フェリオは駆け出した。その先では、キュクレインが怒りの声と共に身体を起こしている。大きな痛手を負ったはずだが、それだけで終わるほど甘い相手ではないようだった。
 フェリオがキュクレインに迫る。その胸には、熱い炎が燃えていた。
 兄さん、と、フェリオは口には出さずに兄を呼ぶ。幼い頃、兄はまだ何もわからない自分に、様々なことを教えてくれた。食べること、生きること、そして戦うこと。両親を亡くし、母方の親族に引き取られた。だが兄は、弟の夢のため、安全なその家を出ることを決断してくれた。
 工業の街ロックウェルで、幼い兄弟は必死で生きた。兄はいつも、自分をかばい、助けてくれた。自分が勉強をしている間、兄は街の外で魔物を狩り、それによって金銭を得ていた。自分は家にいた。命懸けで働く兄という、盾の後ろで。
 兄さん。もう一度、フェリオは兄を呼ぶ。ロックウェルを旅立ってからも、常に兄は、戦闘の最前線にいた。その姿は、まるで仲間たちを、敵の脅威の目の前に晒すまいとするかのようだった。敵の気を自分に引きつけることを、兄は常に心得ていたようだった。
 武器は銃。だから接近戦は不得手だった。必然的に、彼は仲間たちの後ろから、敵の隙を突いて攻撃するという戦い方を取った。そうでなければ前線に立つ仲間たちにとっても迷惑だし、自分の力を発揮することも出来ないと、彼は考えた。
 だが、前に立つ仲間たちにも限界はある。サリナもアーネスもシスララも、そしてカインも、激しい戦闘の中、敵の攻撃を受けて倒れることがある。フェリオは考えていた。いつもいつも仲間たちの後ろで、兄の後ろでいいのか。危険の前にその身を晒すことを仲間に任せ、自分は攻撃することは出来ても、それで仲間を守ることは出来るのか。
 ――サリナを、守ることが出来るのか。
 朽ちた砂牢で自分の意識を奪われたサリナを見て、彼は思った。セリオルは、カインやアーネスではなく、自分にサリナを任せた。それは彼女の兄からの嘱託だった。セリオルは、妹の命を守る役を、他の誰でもなく、自分に与えたのだ。
「俺が……守ってみせる!」
  兄を超えなければならない。セリオルを超えなければならない。そうでなければ、仲間たちにとって、そしてこのエリュス・イリアにとって欠かすことの出来ない存在であるサリナを――いや、彼自身にとって掛け替えの無い存在であるサリナを、守ることなど出来るはずがない。
 仲間たちが驚く中、フェリオは跳躍した。アシュラウルの咆哮が、耳元で聞こえた気がした。
 キュクレインは座して待ってはいなかった。巨体を起こし、敵はその腕と鎌を振るった。聖のマナを帯びた攻撃が、フェリオを襲う。
 フェリオは2丁機関銃を巧みに使い、幻獣のマナによって強化されたその強度で、敵の攻撃を弾いた。見事な身のこなしだった。フェリオにそんな戦いが出来るなど、誰も考えなかった。
「あいつ……すげえじゃん」
 思わず、クロイスは感嘆の声を漏らした。サリナやカインやアーネスらは、よく互いの腕を磨くために模擬戦闘をしていた。セリオルやシスララは魔法やマナの舞の研究をしていた。だが彼は、フェリオが戦いの稽古をしているところを見たことが無かった。
 そういえば、とクロイスは回想する。蒼霜の洞窟でカインナイトの鉱石を発掘した後、フェリオはいつの間にか銃の改造を終えていた。澄んだ紺碧の光を放つその銃を、フェリオはアズールガンと名づけた。アズールガンはそれまでの組み換え銃を超えるバリエーションを持ち、ランチャーや機関銃にもその姿を変えた。
 その努力を、フェリオは誰にも見せなかった。ただひと言、リンドブルムの甲板で言っただけだった。ちょっと銃を改造してくる、と。その後の短時間で、彼の武器は飛躍的な進化を遂げたのだ。
「ったくよ、かっこつけやがってよ。だから嫌いなんだ、あの兄弟は」
 盗賊刀を2本の短剣に戻し、それを左右の手に逆手に握る。だらりと腕を下げ、彼は走り始めた。
 フェリオの動きは見事だった。跳躍と着地、そして回転と回避。それらを連続して行いながら、2丁の機関銃からは絶え間無くマナ弾を発射した。ダメージを負ったキュクレインは、その素早い動きに翻弄された。
「ええい、ちょろちょろと鬱陶しい!」
 逐一追いかけるのを諦め、キュクレインは大雑把な攻撃に出た。鎌を縦横無尽に、狙いを定めることなく無茶苦茶に振り回し始めたのだ。だがそれは効果的な、攻撃と防御を兼ねた行動だった。フェリオは仕方なく、幻魔から離れた。
「そら、食らえ!」
 そしてキュクレインは、それぞれの鎌にマナを充填した。それを一気に放出し、この小うるさい小僧を捻りつぶしてやる。
「異端者よ、汝に奉ずる神は無し。虚言の祈りは虚空へ消えよう――アスピル!」
 だが幻魔が蓄えたマナは、効果を発揮することなく霧消した。いや、より正しく言うならば、セリオルによって掻き消された。そしてそのマナはあろうことか、敵である風のリバレーターの力となった。
 吸魔の魔法。敵のマナを吸い取る、闇属性の魔法だった。
「あなたには、お灸が必要ですね」
「……ぐふふ。そうか、では腰にでも据えてもらおうか」
 幻魔の下らない冗談に、セリオルはくすりとも笑わなかった。代わりに、彼は風の刃を放った。キュクレインはすぐさま、鎌を集めてそれを掻き消した。
 だがそれこそ、セリオルの狙いだった。
 大きな衝撃と激痛に、キュクレインは声を上げた。背後からだった。いつの間にか、水のリバレーターがそこにいた。音も気配も無く、その人間は彼の背中を攻撃していた。
「裏技・不意打ち」
 敵がぼそりと発したその言葉に、キュクレインはなぜか戦慄を覚えた。気圧されたわけではなかった。迫力が篭っていたわけでもなかった。だが彼は、この目の前に佇む小さき人間の、尋常ならざる気配に寒気を感じた。目の前にいるのに、まるでいないかのようだった。
「よそ見してていいのか?」
 更なる攻撃が加えられた。今度は前からだった。
 魔法銃は、いつの間にか巨大なランチャーへとその姿を変えていた。その大口径から、フェリオはありったけのマナを発射した。アシュラウルのマナは渾身の砲弾となり、キュクレインの腹を直撃して爆発した。幻魔の悲鳴が上がる。
「異端者よ、汝に奉ずる神は無し。虚言の祈りは虚空へ消えよう――アスピル!」
 今一度、セリオルが吸魔の魔法を詠唱した。しかしそれはキュクレインにではなく、フェリオに向けられた。銀灰の魔法銃は吸魔の魔法を得て、闇色に輝いた。
 フェリオはトリガーを引いた。ランチャーの口から、極太の漆黒が放出された。それは動きを止めていたキュクレインに命中し、幻魔のマナに大打撃を与えた。
「その汚い口を、二度と開けなくしてやるよ」
 とどめとばかり、フェリオはマナを充填する。狙いを定め、アシュラウルと心をひとつにする。敵は動かない。さっきの攻撃はかなりの痛手になったはずだ。このまま決めてやる。
「フェリオ!」
 サリナの鋭い警告が飛んだ。反射的に、フェリオはその場から離れた。
 その直後、白い光線がフェリオのいた場所を穿っていた。キュクレイが顔だけを素早く上げ、口から放った攻撃だった。
「……危なかった」
「よかった、フェリオ」
 カインをアーネスに任せ、サリナは戦場に戻っていた。今度も幸運だった。彼女の位置からだけ、キュクレインの口から出る煙が見えた。
「ぐふふふ……運のいいやつよ」
 汚らしい声でそう言いながら、キュクレインはゆっくりと起き上がった。その身体はぼろぼろだった。度重なるマナでの攻撃を受け、幻魔は重傷を負っていた。
 だが、その顔から不気味な笑みは消えない。何かあると、セリオルは感じた。何か仕掛けるつもりだ。起死回生にして必殺の、何かを。
「貴様ら、忘れてはいないか? 我は聖の幻魔。そしてここは聖の集局点。ここに満ちるのは……聖のマナ」
 その言葉に卒然として、セリオルはキュクレインを見た。しまった――そう思うと同時に、彼は理解していた。気づくのが遅かった。こちらを欺くような敵のやり方と、カインが倒れたこととで、冷静さを失ってしまっていたのか。蒼霜の洞窟での戦いで、嫌と言うほど味わったはずだったのに。
「皆、全力の攻撃を! リバレートを!」
「もう遅いわ!」
 セリオルの切迫した声が仲間たちの理解へと到達する前に、キュクレインはそれを始めた。
 ぞくりと、サリナは背中が粟立つのを感じた。聖なる滝、セラフィウムの御座。その地を祝福する全てのマナが、悲鳴を上げたようだった。