第206話

 その光の柱が美しく見えることが、哀しかった。薄桃色に輝く、光の柱。
 マナの光――これまで何度も何度も見た、マナの光。今までずっと自分たちの力になってくれた、マナの力。どんな場面でも助けてくれた、神秘の力。
 幻獣との契約を交わして戦ってきた。それぞれがマナの技術を身に付けて戦ってきた。マナの力は、いつでも味方だった。
 そのマナの光が、今は哀しい。
 光の柱は皇城の尖塔よりも高く、天を衝いて輝いている。
 大気を灼く光。そのマナは強大な力を秘め、しかし静かに屹立していた。
「サリナ……」
 呆然と開かれた灰色の瞳に、その姿は映っていた。
 薄桃色の光の中で、彼女は全身を緋色に染めていた。武道着は肌と一体化し、生き物のように揺らめいている。髪も肌と同じ緋色に染まり、空に向かって逆立っていた。
 ――嗤い声が、聞こえる。
「……はははは、あはははははは! あっはっはっはっは!」
 両腕を開き、光の柱が起こす風に白衣をはためかせ、ゼノアは喝采している。
「そう、これだ! これだよサリナ! 僕が求めていた君は、今、まさに今、この君だ!」
 ゼノア以外は、誰も声を発さなかった。誰にも、何も言えなかった。
 事態に頭が追い付かない。しかしそれでもわかったのは、これは良くないことだということだった。ゼノアの言葉に追い詰められたサリナが、光を放って豹変した。アーネスとシスララは吹き飛ばされ、地に伏せたままフェリオと同じように呆然とした目を向けている。
 仲間も、皇族も、憲兵も、チョコボですらも、声を発さない。唯一、ゼノアに次いで事態を把握できそうなセリオルは吐血し、気を失っていた。折れた肋骨が内臓を傷つけた可能性があった。
 その、自分が痛めつけたかつての友に目を向けもせず、ゼノアは叫ぶ。
「これこそ“トランス”! 幻獣の力を借りたのではない、真の“トランス”だ!」
 その声に呼応するかのように、サリナの背中に翼が生える。それは炎のようで、炎ではなかった。
 昨日、ナッシュラーグの地下で見たサリナの姿を、フェリオは思い出していた。
 まるで炎の化身であるかのように強靭なマナを纏ったサリナが、魔獣ベヒーモスを圧倒した。あれは、幻獣の力を借りた“トランス”だったのか。“トランス”が何を意味するのかもわからぬまま、彼は推測した。何か考えていないと、怒りと不安と哀しみとで、気が狂いそうだった。
「セリオル、ああ、セリオル!」
 歓喜の熱狂を帯びた顔で、ゼノアは叫ぶ。
「サリナを強く育ててくれてありがとう! 素晴らしい強さ、素晴らしい仕上がりだよ、サリナ! 生まれて、まだたったの10年だっていうのに!」

 ――私の記憶は、何だったんだろう。
 どこから生まれているのかわからないマナの光の中で、サリナはぼんやりと考えていた。
 ゼノアが叫んでいる。生まれて、まだたったの10年だっていうのに。
 ――私、18歳のはずなんだけどなあ。
 幼い頃の記憶は、確かに朧げだ。あの夏の思い出と、あの冬の思い出、どちらが先でどちらが後だったか、はっきりしない。そんなことはいくらでもあったし、それは普通のことだと思っていた。
 それに、明確に覚えているわけではないものの、生まれた時からフェイロンで暮らしていたという記憶がある。両親は事故で亡くなったと聞かされていた。そこに何の疑いも無かったし、優しくも厳しい祖父と祖母の愛情をたっぷり受けて育ったという自覚もある。
 ――でも、そういえばステラたちと友だちになったのって、いつだっけ。
 幼い日、フェイロンの自然の中でダリウやエレノアと遊んだ記憶がある。ダリウが読み書きを教えてくれたことも、エレノアが寝る時に絵本を読んでくれたことも、覚えている。あれはきっと、8歳よりも前だと思う。ずっとずっと、小さかったころの、曖昧だけど大切な記憶。
 ――セリオルさん、否定してくれないなあ。
 これまでにも何度かあった、セリオルの言動に感じた違和感。それらが今、ひとつの確信をサリナに与える。否が応にも、現実が押し迫ってくる。
 ――全部、嘘だったのかなあ。
 サリナの中に、記憶の繋ぎ目のようなものは存在しない。生まれた時から今この瞬間まで、記憶のどこにも綻びは無い。でも、きっと本当はどこかに、それはあるのだ。
 ――おじいちゃんとおばあちゃんは、私のこと、どう思ってたんだろう。
 じわじわと胸に広がる、哀しみの水たまり。深く、深く、どこまでも深く、それは広がっていく。
 ――私、何を信じればいいんだろう。誰を信じれば、いいんだろう。
 ダリウ、エレノア、セリオル。家族だと思っていた、大切な3人。
 本当は、家族なんかじゃなかった。
 ダリウとエレノアの本当の孫は、アルタナだった。ゼノアの傍らで闇の力を振るう、恐るべき騎士だった。じゃあ、私は一体、何? ゼノアに造られて、人間でもなくて、こんなわけのわからない力ばっかりあって。この光は、何? 私の身体、どうしてこんな色してるの? お父さんがゼノアに幽閉されたっていう話は、何だったんだろう。私、後悔したくないと思ってこの旅に出たけど……
 ――なんか、バカみたいだなあ、私。

「サリナッ!!」
 アーネスの風水術でいくらか回復したセリオルは、仲間たちに制止されながらも叫ばずにいられなかった。あの光の中で、サリナはどんな思いでいるだろう。我が身に起こる異常事態、仇敵ゼノアの口から明かされる真実、それをずっと告げられずにいた兄。あの美しく澄んだ心が、それらのおぞましい闇によって、どれほど汚されてしまっただろう。
 骨の折れた身体で、セリオルは叫んだ。どこがどれだけ痛もうが構わなかった。そんなことより、サリナの傍へ行きたい。自分にその資格が無いことなどわかっていた。でも、それでも自分が行かなければ。サリナを哀しみの底に叩き落した自分が、この裏切りの代償を支払わなければ。
 仲間たちが肩や服を掴んで止めに来る。動けば命に関わるからだ。口から溢れる血は、なるほど止まらない。しかしどうでも良かった。自分の身体のことなど、サリナの心のことを思えばどうだって良かった。
 だが。
「――もうやめろよ!」
 その、怒りの声が、セリオルを止めた。
 フェリオは肩を震わせて、叫んだ。腹の底からの、強い怒りを込めて。
「今、あんたが行ってどうなるってんだ! あんたはただ、サリナに謝りたいだけだろう! 許されたいだけだろう! 責められて、罵倒されて、それで楽になりたいだけじゃないか!」
「フェリオ!」
 交錯したのは、カインの声だった。弟の震える肩を掴み、彼は言う。
「言いすぎだ、フェリオ。もうよせ」
「兄さんは黙ってろよ!」
 その手を振り払い、フェリオは尚も叫ぼうと口を開く。
 だが、彼の身体は強い力で引っ張られ、次の瞬間には左頬に激しい衝撃を受け、彼は地面に転がった。口の中に血の味が広がる。
「馬鹿野郎が!」
 殴られた頬に手を当て、フェリオは兄を睨みつける。
「何だよ! 兄さんは、あんなやつの味方なのか! あんな、サリナを傷つけるだけの――」
「うるせえ黙れ! もう口を開くな馬鹿野郎!」
「どっちが馬鹿だ! サリナがどう思うかぐらいわかるだろ! 何なんだよ一体!」
 怒りに燃える弟の、口から流れた血が滲む胸倉を、カインは膝をついて掴み上げる。
 顔を寄せ、彼は吠えた。
「言えるわけないだろうが!」
 その時の、兄のその表情を、フェリオは初めて見た。
 怒りと、悲しみと、愛と、憎しみと。それらがごちゃ混ぜになった顔だった。こめかみに血管を浮かび上がらせながら、しかしその目からは涙の筋が落ちていた。決して軽くはない自分の上半身を持ち上げる腕は震えていた。
「セリオルは、兄ちゃんなんだよ! サリナの兄ちゃんなんだ! だから、言えるわけないんだよ! 言えるわけ、ないだろうが!」
 息を吐き、カインは声を震わせる。
「わかってやれよ……仲間だろ、フェリオ! 俺たちは、仲間だろうが! なあ!?」
 もうそれ以上、フェリオには何も言えなかった。怒りが収まったわけではない。しかしもう、セリオルを責めることは出来なかった。セリオルは地に伏し、離れたところでシスララが泣いていた。アーネスがその肩を抱いている。
 そして、サリナが光の中で、振り返った。
 その目を、フェリオは見た。
 何も映さない、ただ虚無だけが広がる、その瞳を。
「やあ、茶番はそれくらいで良いかい、悲劇の主人公たち?」
 その言葉に、プリマビスタの戦士たちが反応した。今やサリナたちは、彼らにとっても大切な仲間だ。彼らを限りなく愚弄する言葉に、怒りが限界を超えた。闇の魔物たちとの激しい戦闘を経て、無傷の者はひとりもいない。ゼノアの攻撃で一度倒れた者もいた。しかし彼らは、己の傷よりも仲間を優先した。その中には、塵魔ギルガメッシュの姿もあった。
 ほんのわずかな攻防だった。
 人間の戦士たちは、ことごとくゼノアとアルタナによって沈んだ。
 塵魔の姿となって力を解放したギルだけが、ゼノアを相手に踏ん張った。アルタナがゼノアに加勢しようとしたが、ゼノアは彼女に手のひらを向けてそれを拒否した。
「ギルガメッシュ。この程度の力しか無いんだね」
「……うるせえ!」
 悔しそうに顔を歪め、ギルはその6本の腕を一斉に振り上げた。炎のマナが迸る。瑪瑙の座に匹敵する塵魔の攻撃を、ゼノアはあろうことか、右腕1本で受け止めた。そして彼は言う。
「まあ、失敗作にしてはよく頑張ったよ。ご褒美をあげよう」
 ギルの攻撃を受け止めたのは、ゼノアが懐から取り出した、書類を綴じるファイルだった。その耐衝撃性は樹脂のものではなく、艶めかしい玉蟲色は尋常ならざる物質の気配を纏っている。それを映したギルの、悪魔の瞳が見開かれる。
「まさか、それは……!」
 次の瞬間ゼノアが口にした言葉は、激しい風の音の中にあって、不思議とよく響いた。
「――混ざれ、僕のアシミレイト」
 ファイルから噴き出した光は、誰も目にしたことが無いものだった。
 玉蟲色の光。火、風、雷、力、水、地、聖、闇。8属性のいずれにも属さぬ、しかしマナの力であることは疑いようが無い、その光。ギルの巨体を吹き飛ばし、不気味な輝きが強まっていく。
「何だよ、あの光は……!」
「まさか、アシミレイト!? 人工の幻獣!?」
 カインの声を受けて、アーネスが推測を口にした。
 すぐに彼らは理解した。その、最悪の事実を。
「あれが、幻魔……」
 幻影となって浮かび上がるそのおぞましい姿を、フェリオは網膜に焼き付ける。
 それはハイドライトに出現した、あの合成獣の親玉のような姿をしていた。
 山羊、大鷲、そして2本角の獅子という3つの頭を持ち、虎の身体、蛇頭の尾、そして巨大な蝙蝠の翼を背中に生やした怪物。歪な論理によって生み出されたとわかる、奇形の獣。
 3つの頭が咆哮し、書類ファイルが魔法の鎧へと姿を変える。
「さあ、ギルガメッシュ。味わうといい。君が第一号だよ、幻魔キマイラの餌食のね」
「くそ! くそおッ!」
 生みの親であるゼノアの、玉蟲色の光を帯びる手が、ギルの顔に向けられる。さきほどまでの目に見えない動きは無かった。ギルが自分の言葉に逆らえないのをわかっているのだ。ゆっくりと、ゼノアの手が止まる。玉蟲色の光が収束する。
 だが。
 激しい衝撃に、ゼノアの身体が折れ曲がる。
「ぐっ!?」
「クェーーーーッ!!」
 アイリーン・ヒンメルは真紅の輝きとなってゼノアを攻撃した。チョコボは人間よりもずっと大きく、脚力も強い。その体当たりは、生身で受ければ人間などひとたまりもない威力だ。彼女の突撃で地面を転がったゼノアは、リストレインの鎧によって軽減はしたものの、少なからぬダメージを負ったようだった。
「ううっ……ごほっ。くそ、またお前か!」
「クエッ」
 忌々しげな目を向けるゼノアを、アイリーンは正面から睨み返す。しかしそれ以上の攻撃はせず、人間たちの驚きの声が上がる中、サリナのチョコボはその羽毛を元の陽光色に戻した。
「……まあいいさ。今は君たちよりもサリナだ」
 興が殺がれたか、ゼノアはアシミレイトを解除した。玉蟲色の光が消える。
 彼が向き直ったサリナは、光の柱の中に浮かんでいる。その顔には何の表情も浮かばず、その瞳には何の感情も映らない。彼女は光の中にあって、闇の中にいた。
「ああ、可哀そうなサリナ。最も信頼していた“兄”の裏切りに、絶望してしまったんだね」
 ゼノアの口調は、ことさらに“兄”を強調していた。こちらの神経を逆撫でしようとしているのが見え透いたあてこすりだったが、それでもクロイスは湧き上がる怒りを抑えられなかった。
「何言ってやがる、てめーのせいじゃねーか!」
 突き刺さるように鋭いその声に、ゼノアは振り返る。笑みを浮かべて。
「おやおや、僕のせいだって? 本当にそうかい?」
「誰がどう見てもてめーのせいだろうが! ムカつくことばっかりしやがってこのクソ野郎!」
「あはは。ひどいなあ、なんて下品な言葉を使うんだい」
 光の柱が起こす風に白衣をはためかせながら、ゼノアは余裕の態度を崩さない。
「てめーが仕掛けてこなけりゃ、こんなことにはならなかったんだ! 誰も死なずに済んだし、サリナも傷付かなかった!」
「ふうん……まあ、一理あるね。でもさ」
 わざとらしくかぶりを振り、ゼノアは言う。
「僕が今日のことを仕掛けたのは事実だけど、でも、サリナを騙していたのは誰だい? 僕じゃあないよ? 僕の可愛いサリナを傷つけたのは、僕じゃあない。そこに這いつくばって顔を隠している、セリオルだ。自称、サリナの“兄”の」
 その悪意に満ちた揶揄に、仲間たちの怒りが再び限界に達した。動ける全員が武器を手にし、リバレーターたちはリストレインを取り出した。
 だがそれと同時に、サリナにも変化があった。
 甲高く長い叫びを、彼女は上げた。人間のものとは信じられぬ、それは悲哀に満ちた咆哮だった。見開かれた両目からは、涙が溢れていた。
「サリナ……」
 叫びが終わり、マナの光が消えた。同時に、サリナの身体は元に戻り、そして彼女は気を失った。フェリオは走り出そうとした。サリナを受け止め、ゼノアから奪還しなくてはならなかった。
「おっと」
 しかしそれよりもずっと早く、ゼノアの腕がサリナを支えた。小柄なサリナは、ゼノアの腕の中に簡単に収まった。フェリオが固まる。
 ゼノアの表情は慈愛に満ちていた。愛しい娘を見るような目を、彼はサリナに向けている。そのことがまた、フェリオの感情に爪を立てる。
「……それにしても、君たちの蒙昧ぶりには恐れ入るよ」
 サリナの額を撫でながら、ゼノアは急にそう言った。フェリオたちは身を固くする。不愉快な言葉が飛んでくる確信があった。
「この事実を目にしてなお、セリオルを信じようとしているんだから。もはや天晴れと言うに値する」
「黙れ! それ以上の侮辱は許さぬぞ、ゼノア!」
 剣の切っ先を向けるアーネスを、ゼノアは嘲笑を以て受け止めた。アーネスは続ける。
「道を違えたとはいえ、かつての友に対して、よくもそう次から次へと侮辱の言葉を口に出来たものだ。貴様、セリオルの頭脳に嫉妬でもしているのではないのか」
 それはゼノアを抉る言葉であるはずだった。少なくともアーネスは、それを意図して発した。しかし返ってきたのは、予想に反した言葉だった。
「あはは。よく知っているね、アーネス・フォン・グランドティア」
 思わぬ反応に、アーネスは虚を突かれた。僅かに剣先が下がる。
「確かに僕は、セリオルに嫉妬していたよ。子どもの頃からずっと一緒で、何をするにもセリオルが僕の1歩先を行っていた――同じ境遇で育った、従兄弟だっていうのに」
「……何?」
 セリオルの地面を握る音が聞こえる。虚を突かれたアーネスは、ゆっくりと回頭してセリオルへ目を向けた。彼の両手の爪は地面を抉り、その先端から血を滲ませる。
「セリオルは、僕のことをこう紹介したんだろう? かつて幻獣研究所で共に研鑽を積んだ、友人だった男だ、と」
 変わらぬ芝居がかった語り口に苛立ちを覚えながらも、アーネスは地面に伏せて身を震わせるセリオルから目を離せない。その震えは怒りか、懼れか、それとも後悔か。
「ねえ、どうだい、アーネス・フォン・グランドティア。君たちはこれまで、セリオルの言葉に従って旅をして来たんだろう? ところで訊くけど、彼の言葉にはどれだけの真実があったんだい? サリナのこと、セリオル自身のこと、僕のこと。一体どこまでが真実だと、君は思ってる? ねえ、サリナ」
 いつの間にか意識を取り戻し、うっすらと目を開いていたサリナは、身体をゼノアに預けたまま力無く頭を振る。
「わからない……」
「ああ、可哀そうなサリナ。君はこれ以上、進ことが出来るかい? 疑心と猜疑にまみれた旅を、これ以上続けることが出来るのかい? ねえ、サリナ。“一体誰が、君にとっての真実を教えてくれる?”」
 サリナは沈黙し、答えなかった。不思議だった。これまでは名前を聞いただけで怒りに心が沸騰した。父を助けるため、世界の崩壊を阻止するため、絶対に止めなければならない相手だったはずだ。だが今、ゼノア・ジークムンドに対して、彼女は怒りを抱かなかった。むしろ奇妙な安堵のようなものを感じ始めている。このままではいけないと思いながらも、心が俯き、目を閉じたままだ。
「……お前たちがただならぬ関係にあることは、よくわかった」
 朗として響いたその声は、しばらく事態を静観していた皇帝のものだった。彼は権力者らしい振る舞いで、その場の者たちを睥睨した。彼は背が高く、肩幅が広い。豪奢なガウンがよく似合う、威厳を漂わせる統治者だった。
「それぞれに事情があるようだが、私が今、せねばならぬのはゼノア、お前の捕縛だ。我がナッシュラーグの街をこれだけ破壊し、混乱に陥れた罪は大きい。いかなる理由があろうと、許されぬ」
 そう非難を向けられて、ゼノアは肩を竦めた。彼はサリナを両手で抱え上げた。少女はじっと動かず、身を任せている。
「まあそう物騒なことを言わないでくださいよ、伯父上」
 しかし皇帝はそれを無視し、今度はセリオルへ目を向けた。
「お前もいつまでそうして無様にうずくまっているつもりだ、セリオル。皇家の一員らしく、しゃんとせぬか。それでも我が息子か」
 ざわめきが広がった。皇帝の息子。皇家の一員どころの話ではなかった。セリオルはナッシュラーグ自治区領主、ガルド・カサンドル・パスゲア・フォン・ヴァルドーの、息子。
「セリオルは傷心なんですよ、伯父上。今はそっとしておいてやりましょう」
「白々しい言葉を吐くな、ゼノア。ともかく今は神妙にせよ。皇家としても、人間としても、お前は裁かれねばならぬ」
「裁く? この僕を?」
 心外この上ないというような態度を、ゼノアは取った。少しずつ歩いて移動し、彼はアルタナの隣に立った。緊張が走る。
「誰も、何もわかっていないんだ。皇帝陛下、僕を裁くというならそれ相応のお覚悟をお持ちください。僕を止めたら――このエリュス・イリアは、崩壊しますよ」
「何だと……?」
 腕の中で動かないサリナに目を落とし、愛しそうに見つめながら、ゼノアは告げる。
「僕はね、伯父上。一応、皇家の皆は助けたいと思っているんです。これから起こる世界の崩壊から、せめて家族だけはね。彼らがやって来たから戦いになってしまいましたが、それは僕の望むところではなかった」
 その言い分に反応したのは、フランツだった。ここまでの会話の内容に混乱し、思考が停止しかけている仲間たちの代わりに。
「その“世界の崩壊”とやらは、お前が引き起こすことなんじゃないのか、ゼノア!」
「……おいおい」
 失望の表情を、ゼノアはフランツに向ける。
「少し話を聞いただけで、君はセリオルの方を信じたのかい。随分と単純だな、フランツ」
「……マキナの大枯渇や各地のマナ変異症の原因を作ったのは、お前じゃないのか」
「そいつは確かに僕だ」
「ほら見ろ! このナッシュラーグでも、狂皇の墓に魔獣を放って、幻獣オーディンの力を奪っていた! これが世界に仇をなす行為ではなくて何なんだ! 言い逃れは出来ないぞ、ゼノア!」
「やれやれ。僕の従兄弟たちは馬鹿ばかりだ……それで、どうするんです、伯父上。皆で僕のところへ来ますか? それとも、このまま黙って世界の崩壊に呑まれますか」
 決断を迫られて、ガルドは沈黙した。後ろに控える皇后が不安そうな表情を浮かべている。捕縛の命を待つ憲兵らは、いつでも飛び出せるように緊張を高めている。
 皇帝が口を開く。
「何度も言わせるな。私はお前を捕える。罪無きナッシュラーグの民を殺めた罪は、いかなる理由があろうと決して許されぬ。言い訳は牢の中でせよ」
「……やれやれ、頑迷な方だ」
「憲兵よ、捕えよ! 決して逃がすな!」
「はっ!」
 号令に、憲兵たちが一斉に動いた。訓練され、統率された動きに無駄は無く、ゼノアたちはすぐに取り囲まれる。
 だが、ゼノアは嗤った。
「あははは! 君たちが僕を捕まえられると思ってるのかい? 何て愚かなんだ! あはははは!」
 四方から飛び掛かる憲兵たちを、ゼノアは軽々とかわしていく。
「全く救えない! 救えないよ、愚者たちめ! でもね、僕は進むよ。必ず成し遂げてみせる! 僕は復活させるよ、“魔神”をね!」
 アルタナが腕を振り、闇のマナの力を発現させる。大きな漆黒の穴が空間に開いた。
「ま、待て、ゼノア! ゼノアーーーッ!!」
 サリナを抱えたまま、ゼノアは闇の中へ消える。穴は閉じ、後には何も残らなかった。フェリオはただ、やり場の無い怒りを堪え、拳を握って大地に叩き付けた。