「うぇえええええ」
三半規管に異常を来たしうめき続けるカインに、セリオルは酔い止めを渡した。カインはそれを弱々しい動きで受け取り、ひと息に飲み込んだ。
「よしっ」
途端に回復し、彼は右手を腰に当て、左手を目の上に翳した。
「んなわけあるかっ」
クロイスが拳を突き出してカインのわき腹を殴ろうとしたが、カインはそれをすいと避けてみせた。回避されたクロイスのほうは舌打ちをしたものの、それ以上のことはしなかった。
「遊んでる場合じゃないですよ、カインさん、クロイス」
サリナの声は緊張していた。彼女は鳳龍棍を握る右手が、じっとりと汗ばむのを感じた。
「そうだぞクロイス、ふざけてる場合じゃないぞ」
「うっせえバカ。とっとと武器構えろよ」
クロイスは盗賊刀を構えていた。油断の無い目で、彼は目の前に立ちはだかる巨大な魔物を見つめている。カインはその顔にうっすらを笑みを浮かべ、鞭のグリップを握った。ひゅんひゅんと小気味良い音を立てて、高山飛竜の鞭が宙を踊る。
「ったく、愉快なのが出て来たもんだ」
彼の前に立つ巨大な魔物。それはまさに、サボテンダーの王と呼ぶべき姿をしていた。
通常のサボテンダーの10倍以上はあろうかという体躯。見事にカールした立派な口髭。大木の幹のように逞しい四肢。そしてその頭上には、棘が進化したものなのか、輝かんばかりに誇らしげな冠を頂いている。
その魔物は紛うことなく、サボテンダーたちを統べる王なのだろう。しかし王は今、他のサボテンダーたちのように怒り狂った赤色に染まってはいなかった。緑色のサボテンダーと同じとぼけた無表情で、サリナたちを静かに見つめている。
「大きいわね……」
ごくりと唾を飲み込んで、アーネスが呟いた。彼女も剣の柄に手をかけ、いつでも抜けるように備えている。琥珀色の鞘がきらりと光る。
巨大なサボテンダーは、両腕をだらりと下げ、ただ静かにサリナたちを見下ろしている。魔物の背後から、砂漠の太陽がその光を投げかけている。逆光になった魔物の無表情は、どこか不気味だった。
「セリオル、神晶碑があったのはこの奥か?」
「おそらく」
フェリオとセリオルはそうやりとりしながら、魔物の背後に顔を覗かせている扉を見た。ゼフィールの紋章が刻まれた、大きな扉だ。ふたりは扉から魔物へ視線を移した。緑色の表皮に、黒インクで描いたかのような平坦な目と口。なんとも言えぬ不気味さである。
じっと動きを止めて対峙し、サリナたちと巨大サボテンダーは見つめ合った。そのまましばしの時間が過ぎる。サリナの頬を汗がひと筋流れ、床へ落ちる。
「――そなたら、風の神晶碑を狙う者どもか?」
低く力強い声に、サリナたちはびくりとして武器を構え直した。声の主は巨大サボテンダーだった。魔物の口は全く動かなかったが、明らかにそこから声は聞こえてきた。
「しゃ、しゃべったぞ」
「わ、わかってるっての」
カインとクロイスは揃って1歩後ずさった。サリナとアーネスは武器を上段から下段に構え直し、セリオルとフェリオは魔物の言葉を聴こうと意識を集中させた。
「答えよ。神晶碑を狙う者どもか?」
「狙う、とはどういう意味です?」
セリオルが訊き返した。魔物の顔が彼のほうを向く、
「神晶碑へ近づこうとしているのか、と訊いている」
その質問に、セリオルはどう答えるべきかと逡巡した。見るからに危険なこの魔物との戦闘は、出来れば避けたいところだ。しかし嘘を答えても奥の扉へは到達出来ない。戦闘を回避しつつ目的を達成するために、彼は素直に自分たちの行動の意味を伝えることにした。
「以前、ここへゼノアという人間が来たと思います」
「ゼノアだと!」
瞬時に身体の色を赤色へと変え、魔物は怒りの声を上げた。サリナたちが全身を緊張させる。セリオルは両手を挙げて手のひらを魔物へ向け、戦闘の意志が無いことを示した。魔物はまだ攻撃を仕掛けては来なかったが、ゼノアの名にあからさまな敵意を表していた。
「貴様ら、あの人間の仲間か!」
「ふざけんな! 誰があのくそったれの仲間だ!」
魔物の言葉に、カインが怒号を上げる。
「おいやめろよ!」
「うるせえ! 誰であろうとあの野郎と俺たちが仲間だなんて言うやつは許しておけねえ!」
クロイスの制止を乱暴に振り切って、カインは魔物へ武器を向ける。魔物はカインを敵と見たか、彼のほうへ向いて全身に力を漲らせたようだった。
「落ち着いてください!」
セリオルが進み出た。カインと魔物が、揃って彼を見る。
「我々はゼノアの仲間ではありません。むしろ彼を討とうとしている者です」
「なに……?」
魔物はその色を緑に戻してセリオルに向き直った。彼の話に興味を持ったようだった。
「ただ、彼は闇の幻獣たちを従えていて、現状では私たちに彼を止めることは出来ない。ゼノアを攻略するための手がかりになりはしないかと、ここへ来たんです。彼が破壊した、神晶碑の痕跡を調べるために」
「それを調べて、どうしようと言うのだ」
魔物の言葉に、セリオルは唾を一度飲み込んだ。言葉を慎重に選ばなければならない。
「他の場所に存在する神晶碑を、ゼノアの手から守るための手立てを探ります。彼がどうやって神晶碑を破壊したのかがわかれば、その手がかりが掴めるはずです」
セリオルの口調は静かで、真剣だった。魔物はしばし沈黙した。サリナたちに緊張感が走る。少女は鳳龍棍を握り締める手に、再び汗をかくのを感じた。武道着でさっと拭い、棍を持ち直す。
「……良かろう」
魔物の返事は肯定的だった。サリナたちはほっと息を吐き、胸を撫で下ろした。
「ありがとうございます」
セリオルは笑顔を作って魔物に礼を述べた。しかし彼に向けられた魔物の次の言葉は、彼の期待を裏切るものだった。
「ただし、そなたらの力を試させてもらおう」
「なんでだよ!」
カインが叫んだ。仲間たち全員の気持ちを代弁していた。
「中途半端な者を神晶碑に近づけるわけにはいかん。破壊されたとは言え、神晶碑は我が王国の宝。守護神ガルーダ様より授かりし聖なる宝だ。近づけさせるのならば、私自身が信じることの出来る者でなければならぬ」
サリナたちは唖然として魔物を見つめた。少しの間沈黙して、そしてセリオルが言う。
「“我が”王国……?」
魔物は色を赤に変えることはなく、緑色のままで戦闘の構えをとった。両腕を水平に上げ、左右の肘で腕を直角に曲げる。右腕は上、左腕は下を向くように。続いて右脚を水平に上げ、膝から直角に下へ向けて曲げる。その右足1本で床に立ち、左足は真っ直ぐ伸ばしたままの状態で、またしても膝から直角に曲げた。完成したのは、走っているようなポーズで静止するという、なんともバランス感覚に優れた体勢だった。
そのポーズのまま、魔物は誇らしげな声で告げた。
「私はプロミア・グリンセル・グロリア・フォン・ジャボテンダー4世。ゼフィール王国、最後の王である」
朗々とした声が響き渡った。サリナたちは揃って口を開けている。魔物の発した言葉が、ゆっくりと鼓膜を震わせる。そして彼らは同時に叫んだ。
「えええええええええええ!」 ジャボテンダーの攻撃は苛烈を極めた。サボテンダーたちの何倍も太く長い、鋭い針が飛ぶ。巨体に似合わぬ素早い動きでこちらの攻撃が回避される。サリナはファンロン流武闘術天の型で果敢に攻めるが、攻撃を仕掛けようとするところに針が飛んできて邪魔をされる。
針を回避して跳び退り、サリナは歯を噛み締めた。こちらの攻撃が完全に封じられている。
ジャボテンダーの針はどこからそんなに出てくるのか、無尽蔵に発射されるようだった。魔法の類なのかもしれないと、セリオルは考えた。でなければああも自在に、自分からあらゆる方向へ発射は出来まい。マナの加護も受けているのか、魔法ですら針で迎撃された。フェリオの弾丸やクロイスの矢も同様だった。
「しゃらくせえ!」
唯一ジャボテンダーにダメージを与えることが出来るのは、カインの鞭だった。変幻自在の動きをする高山飛竜の鞭を、ジャボテンダーの針も捉えることが出来ないようだった。嵐のような千尋の鞭がジャボテンダーの脚を攻撃する。
しかしジャボテンダーの表皮は強靭で、カインの攻撃も優れた効果を生みはしなかった。舌打ちをして、カインは胸の前で印を結ぶ。
「青魔法の弐・震天!」
金色のマナの塊が放たれる。それはジャボテンダーの針をかいくぐり、その脚に正確に命中した。轟音が響き、ジャボテンダーの脚にびしりとひびが入る。
フェリオのマナ弾が飛来する。炎の力を秘めた弾丸はひびの入った箇所を狙い撃とうとしたが、ジャボテンダーの針によって全て落とされてしまった。
「くそ。あの針をなんとかしないと、遠距離攻撃は全然だめだな」
毒づくフェリオの脇をアーネスが走る。彼女は騎士剣を抜いて石の床を駆けた。窓から差し込む太陽の熱い光が、騎士隊長の剣に反射する。
ジャボテンダーはアーネスに向けて、頭上から針を放った。しかしブルーティッシュボルトの強靭な守りは、その鋭い針をことごとく遮った。振り上げられた輝く剣が、ジャボテンダーの脚に向けて振り下ろされようとした。
「危ない!」
風となって舞い込んだのはサリナだった。彼女はアーネスの胴をめがけて跳び込んだ。そのままふたりは床を転がった。
そこにジャボテンダーが身体ごと倒れ込んだ。巨体が轟音とともに石の床に叩きつけられる。遺跡全体を揺るがすほどの衝撃。上体を起こして、アーネスは冷や汗をかいた。サリナが助けてくれたなかったら、魔物の脚に斬り付けた直後にその下敷きになっていただろう。
「ありがとう、サリナ。助かったわ」
「いえ、大丈夫ですか?」
ふたりは素早く立ち上がって魔物に向き直った。ジャボテンダーは、あの両腕両脚を直角に曲げた奇妙な体勢のままで床に倒れていたが、すぐに立ち上がった。仕組みはまったくわからなかったが、ぴょこんと音でも聞こえたかのような立ち上がり方だった。腕も脚も、まったく動かさない。
「ふざけやがって」
クロイスの矢が放たれる。雷の矢が何本もまとめて宙を飛ぶ。それが数度繰り返されるが、いずれも魔物の針によって防がれた。少年は舌打ちとともに弓をしまい、短剣を抜いた。
「火柱よ。怒れる火竜の逆鱗の、荒塵へと帰す猛襲の炎――ファイラ!」
ジャボテンダーの足元に火柱が立ち昇る。氷塊や雷光の魔法は針で防がれてしまったが、火炎の魔法は魔物に向けてマナを飛ばす類ではない。これなら効く可能性があった。
セリオルの狙いは当たった。ジャボテンダーは火柱に煽られて跳び上がった。ぴょんぴょんと――と言っても巨体なので、実際はどしんどしんと、だが――跳んで、ジャボテンダーは火炎の猛威から逃れようとした。直角に曲げられた両腕が根元からぐるぐると回る。
「愚者よ見よ、その目が映すは我の残り香――ブリンク!」
魔物の奇妙な動きに不気味さを感じながら、サリナはこの隙にと幻影の魔法を詠唱した。マナの光が飛び、仲間たちの身体を覆う。針の攻撃から守ってくれる幻が生まれた。
「古の戦を制せしかの城の、世界に冠たる堅固なる壁――ストンスキン!」
更にサリナは、ダメージを無効化する堅守の魔法を詠唱した。金色の光が飛ぶ。マナの加護が仲間たちに下り、その身体を守る。
「来たれ風の風水術、音波の力!」
「青魔法の漆・針千本!」
アーネスの風水術とカインの青魔法が魔物を狙う。炎に気を取られていたジャボテンダーに、それらの攻撃は見事に命中した。巨大なサボテンが痛みにうめく。
「やるではないか」
相変わらずの無表情で苦しそうな声を出して、ジャボテンダーは炎をやり過ごした。しかし魔物は、腕を回すのをやめない。
「これはお返しだ」
右足だけで身体を支えたまま、ジャボテンダーは身体を屈めた。それはまるで、緑色の巨大な拳銃のようだった。
「皆、身を守ってください!」
「天空の守りの盾を授からん――プロテス!」
セリオルの警告に続いて、サリナの防御の魔法が発動する。魔物は腕の動きを加速させていた。その巨体を見て、サリナは息を飲んだ。恐るべき量のマナが練り上げられている。
「守護の鎖。我等に加護を、マナの精霊――シェル!」
緑色のマナの鎖がサリナたちを覆う。ジャボテンダーが行おうとしているのは、少なからずマナの威力も秘めたものに思えた。
「騎士の紋章よ!」
仲間たちの前に立ち、アーネスが叫んだ。騎士の紋章と盾を掲げる。紋章は光を放ち、ブルーティッシュボルトが巨大化したかのように、盾の周囲に白銀の光が現れた。
「守りきれるかわからないわ。攻撃に備えて!」
アーネスは仲間たちへ声をかけた。魔物は腕の動きを加速させている。サリナは息を飲んだ。驚異的なマナの量だ。
「針、万本」
ジャボテンダーの頭、冠のようなところから、無数の針が発射された。サボテンダーたちの針をはるかに凌ぐ、まさに悪夢のような数の針。1本1本が恐るべき破壊力を誇るその針が、サリナたちに向けて放たれる。
針は光の盾となったブルーティッシュボルトによって防御された。しかしジャボテンダーの針は、その限界を知らぬかのように次々に発射され、留まるところを知らない。アーネスが苦しさに声を漏らしながら、その勢いに負けまいと踏ん張っている。
「おい、大丈夫か!?」
アーネスのもとへ走ろうとしたカインの腕を、セリオルが掴む。振り返ったカインに、セリオルは静かにかぶりを振ってみせた。あの攻撃には、君では役に立てない。そう言われた気がして、そしてそれが真実であることが悔しくて、カインは奥歯を噛み締めた。
セリオルはカインの様子に胸を痛めながら、サリナのほうを向いた。
「サリナ、アーネスの盾に守護の魔法を」
「はい!」
ジャボテンダーの針はマナの力も纏っている。ブルーティッシュボルトはどうやら騎士の紋章に秘められた魔法の力で、そのマナもなんとか凌いでいるようだったが、長くはもたないように見えた。
「守護の鎖。我等に加護を、マナの精霊――シェル!」
緑色のマナの鎖が、ブルーティッシュボルトに巻きついた。アーネスが立ち上がる。マナが魔物の攻撃から仲間を守る力を増してくれた。
「くっ……なんて力なの!」
それでもまだジャボテンダーの針は止まらない。床には既に力を失った針が無数に散らばっている。フェリオはその針が動いているのを発見した。床に落ちた針は、ジャボテンダーへ向かって床を滑るように移動している。主の許へ還った針は、その足から魔物の身体へと吸収されていた。
「あいつ、針を再利用してる」
「え?」
仲間たちも針の動きを確認した。クロイスが鼻を鳴らす。
「洗ってまた使うのか。けちなやつ」
「君が言うか」
フェリオにそう言われて不満を口にしかけたクロイスだったが、それはアーネスによって遮られた。
「みんな、逃げて! もうもたない!」
彼女の声は切迫していた。いつまでも続く針の猛攻に、光の盾にひびが入っていた。一部欠損も生じている。そこから入り込んだ針が、アーネスの身体を傷つけていた。すでに幻影の魔法も効果を失っている。
「アーネスさん!」
走り出そうとしたサリナの腕を、セリオルが掴んだ。咄嗟に振り返って抗議しようとしたサリナの目を見て、セリオルは言った。
「サリナ、アシミレイトしてあの針の流れを止めてください。そうすれば攻撃は止むはずです。クロイス、君も頼みます」
瞬間的にその言葉の意味を測りかねたサリナとクロイスだったが、直後に理解できた。ふたりはリストレインを掲げた。
「輝け、私のアシミレイト!」
「弾けろ、俺のアシミレイト!」
真紅と紺碧の光が膨れ上がる。リストレインが変形し、サリナとクロイスを守る鎧へと変化する。分離したクリスタルはふたりの額を守るリストレインに固定された。光の中から、炎と水の戦士が現れる。
ふたりは石の床を蹴り、風の速さでジャボテンダーから放たれる針の雨の両側に立った。そのあまりの素早さに、魔物も即座には対応出来ない。
サリナは真紅と金色に輝く鳳龍棍を振るい、炎のマナを放出した。それはアーネスに降り注ぐ針の雨を一時的に散らした。爆風に、魔物の針が押し返される。
クロイスは短剣2本を左右それぞれの手に逆手に握り、水の刃を床を這う針に向けて放った。針は飛び散り、続けざまに放たれた水の刃によって捕らえられた。クロイスの水は即座に凍り、針の全てを石の床へ固定した。
針は止んだ。アーネスががくりと膝をつく。仲間を守るために使った力は大きかった。激しく消耗している。
「アーネス!」
カインが真っ先に駆け寄った。剣を支えにしてなんとか倒れ込まないように保っているアーネスの肩を、彼は抱いた。崩れるようにして、アーネスはカインにもたれかかった。
「大丈夫か、アーネス」
アーネスは額にびっしりと汗をかいていた。呼吸が荒い。
「……少し、疲れたわ」
笑みを浮かべようとするがうまくいかない。カインは奥歯を噛み締めた。自分には何も出来ない。
「これを飲ませてあげてください」
セリオルがひざまずき、薬を2本、カインに手渡した。透き通る青い液体と、黄色い液体。通常のポーションやエーテルとは異なり、中にきらきらと煌く光の粒が浮かんでいる。
「ハイポーションとハイエーテルです」
「ああ」
アーネスはなんとか2本の薬を飲み干した。すぐには回復しない。カインはアーネスを抱え上げた。
「後ろで休ませる」
「ええ」
立ち上がり、セリオルは魔物のほうを向いた。カインはその反対側、広間の壁へ向いて数歩進み、そして立ち止まった。
「あいつぶっとばすぞ、セリオル」
「ええ。私たちの仲間を傷つけた代償は大きい」
静かなセリオルの声を聞いて、カインは歩を進める。彼の後ろで翠緑色の光が膨れ上がった。風のマナの力が増大する。その力を感じながら、彼は壁のほうへ進んだ。
立ち止まった彼は、アーネスを床に寝かせてやった。まだ呼吸が荒い。
「ちょっと休んでろよ、隊長さん」
その言葉に、アーネスは唇の端を上げる。
「私は、あなたの隊長では、ないわよ」
「わかってるっての」
ふっと息を吐き出したアーネスの汗をぬぐってやって、カインは立ち上がった。傍らに彼の弟がいる。銀灰の光を纏うフェリオは、アシュラウルの力に祝福されていた。
「アーネスを頼む」
「ああ」
フェリオは兄の声に、背筋の凍るものを感じた。彼はよく知っていた。今のカインは、心の底から怒っている。彼もこれまでに数えるほどしか見たことの無い、恐ろしいまでの怒気だった。
「針を断たれたか。まあいい。しばらくすれば回復する」
ジャボテンダーはまた散発的に針を飛ばし、倒れ込み、時にその巨大な足で踏みつけるという攻撃に戻った。その攻撃力に、サリナとクロイスはアシミレイトしていても手を焼いた。こちらの攻撃は、相変わらず針によって防がれる。
「厄介なやつだな、ったく!」
「うん……やりにくいね」
そうこぼしたふたりの後ろから、風の刃が何本も飛来する。それは針の雨のいくつかと衝突したが、ついに雨の猛威をかいくぐってジャボテンダーの身体へと到達した。鋭いマナの刃は、巨大なサボテンを傷つけることに成功した。魔物の苦悶の声が上がる。
「手数が少ないんですよ」
「セリオルさん!」
「ったく。悔しいぐらい頼りになる声だな」
サリナとクロイスは振り返った。そこには翠緑の光を纏ったセリオルがいた。彼は歩きながら、次々に風の刃を放った。刃はジャボテンダーの表皮を切り裂いた。
「かつてのゼフィール王といえど、もはや手加減はしませんよ」
怒れる魔導師の声に、サリナとクロイスは首をすくめた。
「こ、こえー」
「セリオルさん、本気だ……」
ふたりは顔を見合わせて身震いした。彼らはセリオルが本気で怒った時の恐ろしさをよく知っていた。特にクロイスは、試練の迷宮で吸命の魔法を詠唱した時の、あの静かな憤怒に燃える瞳をよく記憶していた。
「ほう……面白いではないか」
ならばこちらも、とでも言うかのように、ジャボテンダーはその身体を赤に染め上げた。サボテンダーたちと同じ色だ。その表情も、鬼のような形相に変わる。マナが増大するのをサリナは感じた。さきほどまでに負った傷も癒えたようだった。これがジャボテンダーの、本来の戦闘のための姿なのだろう。
「おいお前」
そして響いた、カインの声。彼は戦いの場に戻っていた。だらりと腕を下げている。その手には、紫紺色のリストレインが握られていた。ジャボテンダーはカインを見た。小さな人間だ。力を得た彼から見れば、取るに足らぬ存在。
「奔れ、俺のアシミレイト!」
だがその取るに足らぬ人間は、幻獣の力を行使した。雷の幻獣。彼の目の前で、その赤毛の男は紫紺色の光を纏い、不思議な金属の鎧を身に付けた。幻獣に祝福された存在。それは人間でありながら、人間を超えた力を操る者だ。彼にとっても、十分に脅威になりうる者。
「お前、やりすぎだぜ。俺を怒らせちまったな」
「そうか、それは悪かったな」
答えたジャボテンダーに向けて、カインは鞭を振るった。イクシオンのマナを纏った鞭は、その長さを飛躍的に伸ばした。大蛇のようにしなる雷の鞭が荒れ狂い、戦いの第二幕が切って落とされた。
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