第71話
「サリナアアアアアア!」 放たれた巨大な火球に向かって走るサリナに、カインは必死で手を伸ばした。カインだけではない。クロイス、アーネス、シスララも同様だった。彼らはサリナの行動を止めようとした。 だが、サリナは仲間の中で最も俊敏だった。 「大丈夫です、見ててください!」 サリナはそう叫んだ。彼女の前には、邪悪な魔導師が放った業火の魔法が迫っている。カインたちは走った。しかし既に最高速度に達しているサリナには、到底追いつけなかった。 カインには理解出来なかった。サリナが言った、大丈夫の意味が。彼は無我夢中で少女の名を呼んだ。しかし真紅の鎧を纏った少女が足を止めることは無かった。 轟音が起こった。恐るべき威力の巨大な火球が、華奢で小柄な少女と衝突し、そしてその身を飲み込んだ。 その様子を、カインは白き大地に膝をついて見つめた。信じられない思いだった。サリナが、敵の魔法に自らその身を晒した。カインたちを業火から守ろうとしたのか。いや、そうではないと、彼は自答した。サリナは敵に立ち向かいはしても、意味も無く自らを犠牲になどしない。 「サリナ……」 ぽつりと、彼は少女の名を呼んだ。その姿は燃え盛る業火に飲み込まれ、もはや影しか見えない。 「クハハハハハ!」 空虚な哄笑が響く。蜥蜴の魔導師だ。爆ぜ盛る炎の向こうで、忌むべき魔物が口を大開きにして嗤っている。 「愚かな娘め! 貴様ごときに業火の魔法を打ち破れるわけがなかろう!」 不愉快なその声に、カインは立ち上がった。魔物を睨みつける。雷の力が身体に満ちるのを、彼は感じた。鞭を握る手に力が篭る。イクシオンのマナを鞭に纏わせる。バチバチと大気が鳴く。 彼が魔導師に向けて走りだそうとした、その時だった。 「カイン、見て!」 アーネスの声が響いた。カインは動かしかけた足を制動し、声の主に顔を向けた。琥珀の鎧に身を包んだ騎士は、サリナが飲み込まれた炎を指差していた。 「……なんだ?」 カインは目をしばたかせた。 炎が収束した。それも、一瞬にして。不自然だった。これまで何度も、カインはセリオルが放った炎の魔法を見てきた。マナの炎の動きにしては、あまりに急速すぎた。 収まりきらぬ炎の中から、サリナが飛び出した。そのあまりに速い動きに、彼女を包んでいた炎が慌てて追従するかのように、少女の身体から尾を引いた。 サリナは瞬時に魔導師との距離をゼロにした。邪悪な魔物は、目に飛び込んできたその光景が理解できず、その場から動けなかった。 痛烈な衝撃が魔物を貫いた。真紅と黄金に輝く鳳龍棍が、魔導師の長身を容易く吹き飛ばした。魔物は身体をくの字に折り曲げて地面を激しく転がり、背後の大木に衝突してようやく停止した。 「残念でした!」 攻撃を放ったままの姿勢で、サリナは楽しげに言い放った。魔物は激しく咳き込んでいる。サリナの攻撃は、魔物の肺に大きなダメージを与えた。しばらくは呼吸がままならいはずだ。 「サリナ!」 自分の名を呼ぶ仲間たちの声に、サリナは振り返った。カインたちが驚いた様子で走ってくる。サリナはにこりと微笑んだ。 「大丈夫なの?」 そばまで来て、アーネスが心配そうに言った。サリナは仲間たちを安心させようと、笑顔で大きく頷いた。そして彼女は、棍を持つ右腕を仲間たちに示した。 「見てください、ここ」 「うん?」 サリナの腕は細く、どこからあれだけの強力な攻撃を仕掛ける力が出るのかと思わせる。その手首にはクロフィールで購入した金のブレスレットが光り、彼女に防御のエンチャントを付与している。 つまり、特に何の変哲も見当たらない。 「あんだよ、腕がどうしたって? んなことよりお前、あの魔法受けてなんで平気なんだよ」 「あ、もう、今それを言おうと思ってたのに」 クロイスに向かって、サリナは頬を膨らませた。 「はあ?」 水の鎧を纏った少年は、サリナにわけがわからないという顔をして見せた。それを見て、サリナはなぜか満足そうだった。 「それで、その理由というのは?」 唯一リストレインの鎧を纏わぬままのシスララが、先を促した。彼女は視界の端に魔物を捉えていた。大きなダメージを負った魔導師は、激しい咳をしながらも、取り落とした杖を拾い、なんとか立ち上がろうとしている。 「うん。あのね、私たち――」 話しながら、サリナは自分の鎧を示して見せた。サラマンダーの大いなる力が宿る、真紅の鎧。 「アシミレイトしてれば、それぞれの属性マナを吸収できるんだって」 「……なんだって?」 よく理解出来ず、カインは問い返した。自分の鎧を見下ろす。雷に祝福された、紫紺の美しい鎧だ。 「つまり、敵の魔法のマナを自分のものとして取り込めるっていうの?」 腕組みをして、アーネスはそう確認した。それにサリナは大きく頷く。 「はい。さっき、サラマンダーが教えてくれました。どうしたらいい、って聞いたら。それで吸収したマナは、私たちの傷を癒す力になるみたいです」 そう言って、サリナは再び右腕を仲間たちに見せた。仲間たちは理解した。そこにはさきほどまで、魔物たちとの戦いで負った傷が確かにあった。 「なるほどな。ていうかそれだったらそうって言えよなー!」 不満を口にするクロイスに、サリナは小さく詫びる。 「うん、ごめんね。急だったから、説明する時間が無くって」 「ったくよ。まあいいけどよ、無事だったんだから」 「おやおやあ? クロイスくん、もしかして君もサリナにあれなのかい? ホの字ってやつかい?」 肘でクロイスを小突きつつ、カインはにやにやしている。クロイスはそのカインの顔を見てぽかんと口を開ける。 「はあ? 何言ってんだお前」 「だめだよクロイスくん、サリナにはフェリオという者がだね」 「カカカインさん、ななな何言ってるんですか!」 「ひゃひゃひゃひゃ。いいねえサリナちゃん、モテモテで」 「もうー! カインさんのバカ!」 「一生やってろ」 クロイスは大きくかぶりを振って溜め息をついた。 「ちょっと、戦いはまだ終わってないのよ」 アーネスの鋭い声が飛ぶ。彼女は剣を構え、魔物を凝視していた。 「ああ、わかってるって」 そう言って、カインは魔物を睨んだ。サリナとクロイスも彼に倣う。 杖を支えにして、魔物は起き上がった。何が起こったのか、未だに理解出来ないようだった。その顔に、さきほどまでは無かった焦りが見て取れた。 「あの野郎、なんで魔法が効かなかったのか、わかってねえな」 「今が好機です。回復される前に畳み掛けてしまいましょう」 カインの言葉にシスララが続け、サリナたちは互いに頷き合った。 シスララが天高く舞う。サリナとアーネスが地を駆け、カインとクロイスはそれぞれに獣ノ箱と弓を取り出した。 「行け、ロック・ドラゴン!」 「諦めたらどうだ、このトカゲ!」 青白い炎の竜が躍り出た。アイゼンベルクの鉱山で捕えた岩の竜である。カインは更に、その炎の竜に雷を纏わせた鞭を振るい、イクシオンの力を与えた。竜はその身体を炎から雷の塊へと変じ、咆哮を轟かせて魔導師へと飛んだ。 クロイスは水のマナストーンを使い、複数本の天狼玉の矢に水のマナを纏わせた。更に彼は、その矢にオーロラの力を与えた。矢は氷の姿を取り、引き絞られた弦から一気に放たれた。空を切り裂いて、矢は魔導師に向かう。 「こ、小癪なやつらめ!」 蜥蜴の魔導師は杖を振り、魔物を出現させた。杖の波動による防御を失った魔物は、手下の命を盾代わりにと考えたようだった。 だがその手下どもに襲いかかったのは、強力な雷のマナと水のマナだった。雷の竜はその強靭な翼による打撃で、魔物どもに雷撃を加えた。氷の矢は凄まじい速度で魔物どもに次々と突き刺さり、凍てつく力で彼らを地に倒れ伏させた。 「ぐっ……」 魔導師はたじろいだ。焦燥から、魔物は更なる数の魔物を召喚した。一体どこからこれだけの数の魔物を呼び出すのか、サリナは不思議に思ったが、ともかく彼女は目の前に現われた巨躯を誇る虎の魔物と対峙した。 そこへシスララが舞い降り、虎の魔物は一撃のもとに葬られた。声をあげることも無く、魔物は倒れた。立ち上がり、シスララはサリナに告げる。 「サリナ、あの魔導師を仕留めて。ここは私が引き受けるわ」 「私たちが、ね」 アーネスはシスララと背中合わせで剣を構えた。シスララはまだ幻獣の力を得ていない。大量に現われた魔物と戦い続けると、無理が出るとアーネスは考えた。彼女は、シスララに手を貸しながら魔物の相手をすると決めた。 「ありがとうございます、アーネスさん」 シスララはアーネスに柔らかく微笑みかけた。それに、アーネスは頷いて答える。 「シスララ、あなたの攻撃力は貴重だわ。守りは私に任せて、思う存分暴れてちょうだい」 「まあ、暴れるだなんて、はしたないです」 冗談めかした口調でそう言うシスララに、アーネスは小さく笑う。 「そうね、訂正するわ。思う存分、舞ってちょうだい」 「はい、かしこまりました」 シスララは扇を取り出した。襲いかかろうとする魔物には、アーネスが刃状の地のマナを剣から飛ばして斬り裂く。 「花天の舞・オーラジグ!」 再び、シスララは攻撃力を増強させるマナの舞を踊った。仲間たちをマナの粒が覆う。力が湧き出してくる。サリナはふたりにその場を任せ、魔導師の元へ走った。 「まだまだ行くぜ。ロック・バード! ロック・ネイル!」 「矢がもったいねえから、俺、直接やるわ」 背中でカインとクロイスの声を聞きながら、サリナは魔導師を目指した。魔導師は魔物どもが足止めも出来なかったことに歯軋りしている。 サリナは風となった。白き世界に吹き荒ぶ真紅の風。風は一気に敵との距離を詰める。 「くっ……。なぜだ、なぜ魔法が効かなかった!」 業火の魔法がサリナに全く効果が無く、それどころか彼女の傷を癒しすらしたことの理由がわからず、魔導師は彼女に対して魔法を放てずにいた。 サリナは魔物に肉迫し、鳳龍棍を突き出した。神速の突きは、しかし魔物の翻した法衣の裾を捕らえたに過ぎなかった。 魔導師はサリナと向き合ったまま、俊敏な動きでその攻撃を回避した。さきほど受けた一撃は痛烈だった。あんなものを二度ともらうわけにはいかない。 サリナは全身の神経を目と脚の集中させて魔導師を追う。魔導師の素早さは大したものだった。アシミレイトしたサリナと、互角の攻防を繰り広げている。 「ええい、鬱陶しい!」 ついに、魔導師は回避から攻撃へ転じた。トネリコの杖を水平に振るう。しかしそれは、苛立ちが招いた失策だった。 サリナは地を這うように身体を下げ、敵の一撃を回避した。魔導師は力を込めた攻撃が空を切ったことで、大きな隙を作ってしまった。 サリナは右脚を大きく廻し、会心の脚払いを仕掛けた。魔導師は為す術も無く転倒した。そして真紅の風は、ほんの一瞬宙に浮いた魔物が地に落ちる前に、戦慄の乱撃を叩き込んだ。 魔導師は息を吸うことも許されず、またしても大地の上を転がることになった。漆黒の法衣は、もはや襤褸切れだった。血の色の鎧は多くの部分をいびつにへこませ、ところどころに剥離を起こしていた。 「改めて、おっそろしい強さだな……」 魔物を片付けたカインが、サリナの動きを見て呟いた。誰に向けた言葉でもなかったが、その場の全員がその感想を共有していた。 「凄いですね……」 今日初めてサリナの戦いを見たシスララは、他の仲間たち以上の衝撃を覚えていた。自分よりもひとつ年下の、辺境からやって来た少女。王都へ何度も足を運んだことのあるシスララは、しかしサリナほどの動きを見せる者に会ったことが無かった。 「ええ。サリナは強いわ。シスララ、あなたも強いけれど、サリナは私たちとは、強さの質が違う」 「強さの、質ですか?」 アーネスは大きく頷いた。琥珀のマナの光が揺れる。 「サリナの中には、私たちの誰より強い思いがあるわ。戦いは、身体の強さと技術の強さだけではないから。サリナは、誰よりも強く、ゼノアを止めなければと思ってる」 「元は、親父さんを助けたいってだけだったのにな。いつの間にか、あの子に世界が懸かっちまった」 カインたちの視線の先で、サリナはゆっくりと立ち上がった。魔導師は動かない。炎のマナが揺らめいて消える。その後に、サリナが解放した、彼女自身のマナのゆらぎが残った。いつの間にか、彼女は自分のマナとサラマンダーのマナを融合させ、それを操る術を身に付けていた。 「けど、あいつは弱えんだ。すぐ下向いちまうし、自分のことばっかり責めるからよお」 頭の後ろで手を組み、クロイスがそう言った。その言葉に、カインとアーネスが笑う。その笑いは、クロイスの言葉を肯定していた。仕方の無い妹のことを見守る兄や姉のように、ふたりは笑った。 「だからさ、シスララ」 シスララはカインの顔を見た。紫紺の鎧を纏う赤毛の青年は、優しい目をしていた。 「俺たちと一緒に、あの子を支えてやってくれ。ゼノアの野郎と一緒にいる闇の幻獣たちの力は、君の力が無いと、たぶん打ち破れない」 カインはそう言った。その言葉は、シスララの心に深く沁み込んでいった。沙羅の宮で聞いた、サリナの思い。それを助け、支えようとするカインたちの思い。その絆の強さが、彼女の心を震わせた。沙羅の宮の応接間で、あの時感じた心の震え。それが再びやって来た。 彼女は思った。サリナたちなら、きっとゼノアという男を止められる。どれだけ大きな困難を伴おうと、それを乗り越えていくための強さを、彼らは持っている。 そしてシスララは、エル・ラーダ自治区の民たちのことを思った。不作が続き、ゆっくりと貧しさに落ちていきつつある民たち。世界で起きているという、マナの異常現象。それがエル・ラーダの大地にも影響していることは疑いようが無い。 シスララは、胸に大きく息を吸い込み、そして口を開いた。 「はい、もちろんです。きっとそれが、私の民たちのためにもなるのですから」 その言葉に、クロイスはシスララを――いや、貴族という存在を改めて見直した。彼にとって、貴族とは庶民から財産を搾取し、贅沢な暮らしを送っているだけの者だった。だが、その認識は間違っていた。シスララは、自分を危険に晒してでも民の暮らしを守ろうとしている。彼女はそれだけ民に感謝し、民のために自治区を、世界を良くしようとしている。 クロイスはアーネスを見た。凛として剣を持つ彼女も、身分としては貴族と同じだ。彼女のこれまでの暮らしも、庶民たちが納めた税によって成り立っていたのだろう。彼女にはそれを受け取って余りあるだけの資格があると、クロイスは思った。彼女の心は、いつも王国を、そこに暮らす人々を向いている。 クロイスは息を吐いた。彼は胸中でひとりごちる。とっくにわかってたことじゃねえか。いつまで意固地になってたんだ、俺ってやつは。 頭を振って、彼は倒れた魔導師を見た。魔物はまたも立ち上がろうとしていた。口から血を流している。 「許さぬ……」 口の端から、魔物はそう言葉を吐き出した。痛みを和らげる回復の魔法すら詠唱せず、魔導師は自分の正面に立つ真紅の少女を、憎々しげに睨み付けている。 「幻獣を、返しなさい」 サリナの声には怒りが篭っていた。静かに燃え盛る怒りの炎が。それが魔導師に恐怖を与える。身体に刻まれた傷の痛みが、少女への恐れを生んでいた。 その事実が、魔導師の心に新たな感情を芽生えさせた。それは歪んだ怒りだった。誇りを傷つけられたことに対する、歪曲した憤怒だった。 「許さぬぞ、貴様!」 そう言い放つと、魔導師は杖を振るって魔物を呼び出した。これまでのどれよりも多くの魔物だ。魔物たちはその白い身体に、いくつものどす黒い染みのようなものをこしらえていた。それはまるで、魔導師の怒りが転化したもののようだった。 「行くぞ!」 カインが号令をかけ、4人はサリナを守るべく地を蹴った。サリナ自身も、風の速さで魔物の群れに突撃する。 「忌々しい! 忌々しい者どもめ、地獄へ誘ってくれるわ!」 どろりとした唾を飛ばし、長い舌を出しながら、魔導師は怒りを込めて叫んだ。罵りの言葉に続いて、魔法の詠唱が始まる。 「永久なりし氷河が鎖す死の大地――」 カインは舌打ちをした。またしても聞き知らぬ呪文だ。今度は何の魔法だ? 彼は雷の鞭を振るいながら、仲間たちに視線を走らせた。全員が魔導師の詠唱に気づいている。サリナは嵐のように魔物たちを撃退し、魔導師の詠唱を中止させようと焦っていた。その様子に、我を忘れつつある魔導師が気づかぬことを、彼は願った。アシミレイトと同じ属性の魔法しか吸収出来ぬことを悟られては、上級黒魔法の雨を浴びることになってしまう。 「命の果ては此処なりと――」 クロイスは魔導師を見た。杖を構え、こちらを伺いながらも精神を集中させている。彼はさきほどの詠唱の言葉に反応していた。永久なりし氷河。恐らくあれは、氷の上級魔法だ。彼はバタフライエッジで白き猛牛を屠り、魔導師の前へ飛び出した。 「古き竜さえ瞼を閉じる――ブリザガ!」 恐るべき量の巨大な氷塊が魔導師の杖の先に現われた。サリナは間に合わず、顔を青くした。あれを受けたら、いかにサラマンダーの力でも、失われるかもしれない。その想像が、彼女の背筋を冷たくした。炎のマナは、水のマナには弱い。 氷塊の群れが放たれた。魔導師の哄笑が響く。 だが、その前に紺碧の鎧を纏った少年が飛び出した。魔導師は驚いた。さきほどの少女ではない。なぜだ? 少年は、やはり魔法をその身に受けた。明らかにわざとだった。そして魔導師は見た。氷河の魔法の威力が、全て少年に吸収されていくのを。その身に纏った紺碧の鎧が、その輝きを増すのを。 なるほどな、と魔導師は胸中で呟いた。思わず舌なめずりをしてしまう。下品な癖なので、魔導師はそれを自らに戒めていた。しかし今だけは仕方が無かった。なぜなら、この目障りな連中を壊滅させる術をようやく見出せたのだから。 「クックック……クハハハハハハハ!」 愉快だった。愉快で仕方が無かった。氷河の魔法を突破した少年が、渾身の力で盗賊刀を振り下ろした。それすらも甘んじて受けてやれるほど、魔導師の心は狂喜に満ちていた。 水の刃が血の色の鎧を切り裂いた。魔導師は狂ったように笑いながら、仰向けにゆっくりと倒れていった。クロイスは、その様を気味の悪い思いで見た。 「なんだこいつ……イカれやがったか」 法衣の中から、純白の水晶が転がり出た。それを目にしたクロイスの動きは俊敏だった。彼はそれを瞬時に掴み取り、シスララを振り返った。 「シスララー!」 名を叫ぶとともに、クロイスは聖の幻獣のクリスタルを投げた。それは戦場の中で舞うように戦っていたシスララに、正確に渡った。 「やった! クロイス、さすが!」 「上出来だクロイス! よくやったー!」 「うるせえ! 偉そうに言うんじゃねえよ!」 サリナとカインにそう言い返しながら、クロイスは鼻の下をこすった。なぜだかむずむずした。 「クロイスさん、ありがとうございます!」 シスララが礼を言いながら、リストレインの髪留めを外した。3つ空いた穴のひとつに、クリスタルを嵌め込む。 その瞬間、クリスタルから純白の光が溢れた。皆が驚く中、シスララはその聖なる光に包まれた。 音の無い純白の世界に、シスララは立っていた。そして彼女の目の前に、懐かしきその姿があった。 「……お久しぶりです、幻獣様」 聖の幻獣。エメラルド色の豊かな毛並みの、一見するとやや大きな兎である。ぬいぐるみのようにふさふさとした毛に覆われた四足の身体。丸く愛らしい両目に、小さな鼻と口。そしてその頭から生える、長い両耳。 そして何より特徴的なのは、その額に輝く、美しい大きなルビーだった。 「久しぶり、シスララ。ごめんね、迷惑かけちゃって」 幻獣は少年のような声でそう言った。美しい賛美歌の歌声のようだった。 「いいえ、とんでもありません。幻獣様は、戦う力はお持ちでないのですから、仕方がありません」 「ありがとう、シスララ。でも僕も、ちょっと情け無いな。これでも幻獣のはしくれなのに」 幻獣は俯き、残念そうに言った。シスララはその可愛らしい姿に微笑んだ。 「幻獣様、私たちは、私たちに出来ることを致しましょう。あの魔物は、一体何者なのですか?」 その質問に、幻獣は顔を上げた。しかしその首は、横に振られた。 「僕もよくわからないんだ。元は、ただの蜥蜴の魔物だったはずなんだ。それがいつの間にか、あんなとんでもない力を付けてしまって……。あの魔力に、僕も囚われてしまったんだ」 「そうでしたか……元は、通常の魔物だったのですね」 幻獣は頷いた。シスララは幻獣を見た。淡い光を放つその神なる獣の力が、彼女には必要だった。 「後で皆さんに伺えば、何かわかるかもしれません。ともかく今は、幻獣様のお力をお借りしたいのです」 「うん、もちろんだよ。さあ行こう、シスララ。お返ししてやらなくちゃ。僕と心をひとつにするんだ。いい?」 「はい、かしこまりました」 幻獣は頷き、少し助走をつけて跳躍した。そのまま幻獣がシスララの胸に飛び込むと、膨大な量の純白の光が溢れ出した。 「響け、私のアシミレイト!」 クリスタルから光が溢れた直後、更に大きな光が現われたのを、サリナは見た。シスララの声はその中から聞こえた。 「やった、シスララ!」 「ようやく揃ったわね、リバレーターが」 サリナの歓声に、アーネスが頷いた。カインとクロイスも、腕を天に掲げている。魔物たちはその聖なる純白の光に、恐れ慄いているようだった。 光の中から、美しく神々しい純白の鎧に身を包んだシスララが現われた。その肩では、ソレイユが誇らしげに咆哮をあげる。槍も純白の光に包まれている。聖のマナが満ちていた。 「皆様、お待たせ致しました」 シスララは、自らの身体に溢れる力に戸惑いながらそう言った。すごい力だ。これを制御するのは、簡単ではあるまい。彼女は感じた。サリナたちはこれまで、この力を操って戦ってきたのだ。それがどれだけ苦しく、厳しい道のりだったか。 自分の力で、それを少しでも和らげられたら。彼女はそう願い、槍を構えた。 「クハハハハ……」 不気味な声が響く。邪悪な魔導師の声だ。魔導師は未だ地に倒れたまま、大の字になって空を見上げている。おぞましく乾いた哄笑は、その裂けた口から流れ出ていた。 「無駄だ無駄だ。貴様らはもう終わったのだ。貴様らの運命は、ここで尽きるのだ」 「なあにを大口叩いてやがる。てめえの魔法が通じねえのがまだわからねえのか」 ブラフも含めて、カインはそう言い放った。しかし魔物に動じた様子は無い。魔導師はゆっくりと浮き上がり、地に足をつけた。もはやぼろぼろの風体である。しかしその目は、ぎらぎらと妄執の炎に燃えていた。 「貴様らが吸収できるのは、力を借りる幻獣の属性だけであろう」 表情に出ぬようにと、アーネスは願った。知られていた。とはいえ動きに気をつければ、魔法を全て受けることは無いだろう。そうならぬよう、すぐに勝負を決めなければならない。仲間たちに総攻撃の意図を伝えようと、彼女は口を開きかけた。 「――無駄だ。貴様らには、黒魔法の奥義をくれてやる。属性を帯びぬ、純粋な破壊の力をな」 開きかけた口を、そのままの形でアーネスは固まらせた。今、恐ろしい言葉が聞こえた。 サリナは見た。邪悪な魔導師の練り上げる、膨大な量のマナを。かつて目にしたことのない、足がすくむほどの量のマナを。上級黒魔法すら遥かに凌ぐ、その破滅の前兆を。 「と、止めろ……止めろおおおおおお!」 嫌な汗が全身から噴き出るのを感じながら、カインは走った。阻止しなければならない。その詠唱だけは。 だが、彼らの前に魔物が立ちはだかる。白から黒へとその色を変え、狂える怒りに染まった強力な魔物たちが。サリナは棍を振るった。ただひたすらに、恐怖に震えそうになる膝を律しながら。 |