第14話

 怪鳥ズーの時と同じように、サリナたちはヴァルファーレを迎撃した。フェリオは風のタイミングを見切って発砲した。長銃の弾丸は正確にヴァルファーレに届いたかに見えたが、幻獣の纏う風が鎧となって弾丸の威力を殺してしまった。
 ヴァルファーレが迫る。詠唱の時間が無いカインとセリオル、そしてヴァルファーレが風を纏った状態では自分の攻撃は効果が無いと判断したフェリオが、急降下を回避すべく素早くその場を離れた。肉迫する幻獣に、ズーに脳震盪を起こさせた打ち上げ攻撃をサリナは仕掛けた。しかし黒鳳棍はヴァルファーレの身体をすり抜けた。水を切り裂いたような奇妙な感触だけが残る。ヴァルファーレの攻撃がサリナを襲う。
 危ないと叫ぶ仲間の声。鋭い嘴がサリナの華奢な身体を貫いたかに見えた。しかしヴァルファーレの巨躯はサリナの上半身をすり抜けた。黒鳳棍から伝わってきたのと同じ、水の中を通るような感覚。
 振り返ったサリナの目の前で、ヴァルファーレは岩壁に激突する寸前で急上昇した。翼の猛烈な羽ばたきで生まれた強風が岩壁にぶつかり、飛礫がサリナに襲いかかった。尖った石が肌を切り裂き、筋肉に食い込む。痛みに、思わず叫んだ。膝から力が抜ける。
「サリナ!」
 呼びかけながらセリオルたちはサリナに駆け寄った。ヴァルファーレは次なる攻撃のために空を舞っている。セリオルがサリナに薬瓶を差し出した。ポーションと呼ばれる傷薬。透き通った青い液体で、治癒能力を瞬間的に飛躍させ、同時に痛みを止める。
「大丈夫ですか?」
「うう。はい……」
 ポーションを使ったにも関わらず、サリナは方膝をついたままだった。ヴァルファーレが甲高い声を上げながら再び急降下を始めた。フェリオが銃を組み替える。カインは詠唱を始めた。
「青魔法の壱・マイティブロウ!」
 銀色の拳が幻獣を襲う。直線的に降下しながら、ヴァルファーレは器用にそれを回避した。そこにフェリオの火炎放射器から放たれた強烈な炎が襲う。しかしその炎までもが、巨鳥の身体をすり抜けてしまった。
「何なんだよ、くそ」
 悪態をつきながらスピンフォワード兄弟は急降下を回避した。飛礫が彼らを追う。いくつかの尖った岩の攻撃を受けて、カインがうめいた。
 まだ立てないサリナを抱えて、セリオルは安全そうな岩陰へと移動していた。飛礫で受けたダメージがそれほど深刻とは思えない。ポーションで回復もできたはずだ。
「どうしたんです、サリナ?」
「わからないんです。なんだか、力が入らなくて。魔法を使いすぎた時みたい」
「傷が痛むわけではないんですか?」
「うん……」
 幻獣の咆哮が響く。サリナとセリオルにヴァルファーレの攻撃が向かないように、スピンフォワード兄弟が果敢に攻撃を仕掛けていた。しかしフェリオの弾丸や火炎はことごとく幻獣の身体をすり抜け、カインの青魔法は空中で器用に姿勢を変えることで回避されていた。
「これならどうだよ。キラー・ウィング!」
 急降下の回避のために走り回って息を切らせ、しかし自分たちの攻撃が全く意味を成さないことに苛立ちを爆発させたカインが、虎の子の獣ノ箱を使用した。青白い炎の鳥がヴァルファーレに向けて翼を羽ばたかせる。それは真空の刃を生み、幻獣へと襲いかかった。
「あと獣ノ箱はデッドリィ・ビークしか無いんだ。当たってくれ!」
 しかし彼の願いも空しく、真空の刃はまたしても幻獣をすり抜け、虚空へと消えていった。そこにフェリオの弾丸が飛来したが、結果は同じだった。幻獣が急降下を始める。ふたりは息を切らせながら回避し、セリオルたちのところへ集まった。
「どうなってやがる。攻撃が全然効かねえ」
 ヴァルファーレから目は離さず、カインが腹立ち紛れに石ころを蹴飛ばした。フェリオは汗をぬぐいながら、様子のおかしいサリナの肩に手を置いた。
「サリナ、大丈夫か?」
「うん……なんだかくらくらする」
「薬、効いてないのか」
 フェリオの問いかけに、セリオルが難しい顔で答える。
「いえ、飛礫による傷はもう大丈夫です。痛みも取れています」
「じゃあ、なぜ?」
「来るぞ!」
 ヴァルファーレが旋回から急降下の姿勢をとったことを確認して、カインが叫んだ。その瞬間、セリオルが何かに気づいたように、卒然として幻獣を見やった。
「そうか、なるほど……。サリナ、これを飲んでください」
 セリオルが取り出したのは、黄色い液体の入った薬瓶だった。
「エーテルです」
「エーテル?」
「魔力を回復する薬です。飲んでみてください」
 ヴァルファーレが急降下を開始した。風を切って急速に幻獣の巨躯が迫る。サリナは急いでエーテルを飲み干した。効果は覿面だった。さきほどまでの衰弱ぶりが無かったかのように、身体に力が入るのをサリナは感じた。
 サリナの回復を確認して、4人はひとまず急降下と飛礫を回避した。ヴァルファーレに攻撃を仕掛けようとする自分以外の3人を制して、セリオルが集合を呼びかけた。
「あなたたちのお陰で、攻撃が効かない理由がわかりました」
 空へ舞い上がったヴァルファーレを警戒しつつ、セリオルはスピンフォワード兄弟にそう告げた。
「どういうことだ?」
 カインの問いかけにひとつ頷いて、セリオルが説明する。
「ヴァルファーレはカインの青魔法は回避しました。しかしフェリオの弾丸や火炎、サリナの棍での攻撃は回避せず、そのまま身体をすり抜けていました。また、ヴァルファーレの急降下を受けたサリナは、ヴァルファーレの身体が自分をすり抜けて物理的なダメージを受けたわけではないにも関わらず、あれだけ衰弱してしまった」
「それで、何がわかったんだ?」
「幻獣には物理的な攻撃が効かないということです。しかし、魔法等によるマナを使った攻撃は恐らく有効です。物理的な打撃や炎は回避せず、青魔法だけを回避したのがその証拠です。またサリナの衰弱は、ヴァルファーレにマナを奪われたことが原因です」
「なるほどな……。考えてみれば、幻獣はエリュス・イリアに物理的な影響を与えることができないから、ウィルム王とアシミレイトしてヴァルドーを滅ぼしたんだもんな」
 フェリオの補足に頷いて見せて、セリオルは続けた。
「彼らはマナの化身。敵のマナに攻撃することはできるし、逆にマナによる攻撃ではダメージを受けるということでしょう」
「てことは、魔法で戦うしかねえな。フェリオとサリナはサポートに回ってくれ」
「はい」
「わかった」
 ヴァルファーレが急降下の姿勢をとった。サリナ、カイン、フェリオの3人はその動きから目を離さないように注意しつつ、迎撃と補助の構えをとる。カインは印を結び、サリナはプロテスの詠唱に入った。
「いえ、ふたりにはヴァルファーレを攻撃してもらいます。サポートをするのは私です」
 セリオルの声に、3人は驚いて振り返った。カインが抗議の声をあげる。
「何言ってんだよ。俺の青魔法とあんたの黒魔法が攻撃の主軸だろ?」
「それよりもっと効率的にマナを攻撃する方法があるじゃないですか」
 わからないという顔の3人に、にやりとしてセリオルが告げる。彼の眼鏡がきらりと光った。
「アシミレイトですよ」
 セリオル以外の3人が「ああなるほど」と声を合わせ、拳をぽんともう一方の手のひらにぶつけた。
 ヴァルファーレが咆哮と共に急速接近する。4人はその場から素早く跳び退った。ヴァルファーレの攻撃は空振りに終わった。急降下攻撃は有効ではないと判断したか、幻獣は攻撃方法を変更した。再び空へと舞い上がったヴァルファーレは、巨大な翼を羽ばたかせて生み出した風をサリナに向けて飛ばした。大きな風の渦に回避が難しいと判断し、サリナは身を守るべく魔法を唱えた。
「守護の鎖。我等に加護を、マナの精霊――シェル!」
 サリナの身体に、半透明の緑色の細い鎖が巻きついた。鎖は淡い光となって彼女を包み、直後に仲間たちのところへ飛んだ。サリナ同様、仲間たちの身体にも鎖が巻きつき、マナによる攻撃の威力を軽減する鎧となった。
 襲いかかった風によるダメージをゼロにはできなかったが、サリナはさほど痛手を被らなかった。すぐに姿勢を立て直してヴァルファーレを見上げる。幻獣は次なる攻撃のために翼を羽ばたかせていた。
「奔れ、俺のアシミレイト!」
 カインの声が響き渡った。膨大な紫紺の光が溢れる。光の中から雷を纏った鞭が飛び出し、ぐんと伸びて空で羽ばたくヴァルファーレを狙う。サリナを攻撃しようとしていた幻獣は、邪魔されたことに怒りの声を上げた。空中の敵を捉えることは難しく、カインの攻撃は空を切ったが、彼の目的はサリナとフェリオがアシミレイトする時間を稼ぐことにあった。
「輝け、私のアシミレイト!」
 爆炎を思わせる真紅の光が膨らんだ。サリナの左腕に装備されていたリストレインが、鎧へと姿を変える。幻獣の力を手にしたサリナは、飛躍的に向上した跳躍力で果敢にも空中のヴァルファーレに挑みかかった。カインの雷鞭に気を取られていたヴァルファーレに、サリナの炎を纏った黒鳳棍での攻撃が炸裂した。風の巨鳥は翼を強かに打ち付けられ、苦悶の声を上げてバランスを崩した。戦闘が始まって初めて、幻獣に有効な攻撃が決まった。
「天を走る神の怒りの申し子よ――サンダー!」
 セリオルの杖から雷が迸り、姿勢を崩したヴァルファーレを直撃した。甲高い声を上げて、巨鳥が落下する。続いて響いたのは、フェリオの声だった。
「集え、俺のアシミレイト!」
 銀灰色の膨大な光が出現した。フェリオの腰に装備されていたホルスター型のリストレインが変形し、銀灰色の鎧となってフェリオの身体を覆う。湧出する“力”のマナ。それはフェリオの長銃をも包み込み、鎧と同じ色の気高きマナの銃へと変貌させた。
 フェリオは落下するヴァルファーレに狙いを定め、引き金を引いた。銃口からは弾丸ではなく、銀灰色の力の塊が射出された。続けざまに発射された力の塊は正確に幻獣に着弾し、悲鳴を上げさせた。
「やはりマナによる攻撃は有効ですね」
 今や地に墜ち、再び空へ舞い上がるべくもがいているヴァルファーレに、セリオルの魔法が追い討ちをかけようと迫った。しかし幻獣の獰猛な咆哮と共に渦巻く風が起こり、放たれた魔法はかき消された。
「野郎、タフだな」
 舌打ちをしながらカインが雷の鞭を振るう。ばしばしと空気の爆ぜる音を撒き散らしながら、雷のマナが大蛇のように身をくねらせて襲いかかる。しかしヴァルファーレは素早く飛び立ち、空へと舞い上がった。
 空中を自在に飛び回る幻獣に、サリナ、フェリオ、カインの3人での総攻撃が襲いかかる。セリオルもサリナに当たらないように注意しながら魔法を放つ。しかし怒りに燃えるヴァルファーレは手ごわく、彼らの攻撃は旋風の暴威に阻まれて思うように届かない。
「やれやれ。面倒な相手だ――セリオル、俺に向けて魔法を使ってくれ」
 うんざりした表情で、フェリオがそう言った。
「どういうことです?」
「力のマナの特性だ。各属性マナの威力を増幅する」
「なるほど」
 セリオルは氷の魔法をフェリオに向けて放った。フェリオはそれをマナを纏った銃身で受ける。魔法は銃身へと吸収され、銃は青白い光を放った。フェリオは銃口をヴァルファーレへ向け、引き金を引いた。
 フェリオの銃からは、巨大な氷柱が幾本も射出された。凄まじい速度で飛来する魔力の氷柱がヴァルファーレに迫る。それは旋風の妨害も無視して幻獣に炸裂した。再び巨鳥は姿勢を制御できなくなり、地面に激突した。
「リバレート・アシュラウル。ドライヴ・ラッシュ!」
 ヴァルファーレが落下した隙を、フェリオが突いた。銀灰色の光がフェリオの頭上に膨れ上がり、リストレインから分離したクリスタルがその中で変形する。やがて白銀の巨大な狼が姿を現した。力の幻獣、アシュラウル。神々しい光を放つ狼は、遠吠えを上げた。フェリオがその背にまたがり、狼はヴァルファーレに向かって駆け出した。驚異の速度で駆ける彼らは、やがてひと塊の力のマナとなってヴァルファーレに肉迫した。恐るべき威力で、アシュラウルのリバレートはヴァルファーレを打ちのめした。甲高い巨鳥の声。勝敗は決したかに思えた。
「どうだ?」
 アシミレイトが解除されたフェリオが、肩で息をしながら振り返った。ヴァルファーレは動かない。サリナ、セリオル、カインの3人が駆け寄ってきた。
「さすがにやったか」
「フェリオのリバレート、すごいね」
 カインとサリナが口々にそう言ったが、セリオルは厳しい表情を崩さなかった。彼にはヴァルファーレのマナが消え失せていないことが感じ取られていた。
「まさか、幻獣が味方についていたとは」
 発されたのはヴァルファーレの声だった。風の音のようにたゆたう声。力強く気高い誇りを感じさせた。
「なんだよ。まだくたばらねえのか」
「気を付けてください。ヴァルファーレのマナが増大しています」
 起き上がったヴァルファーレの瞳に緑の炎が灯る。凄まじい咆哮と共に、荒れ狂う強風が復活した。サリナたちは顔をかばうように腕を掲げた。風に飛ばされないように足を踏ん張るのに必死だった。
「愚かなことだ。人間のためにマナが脅威に晒されているというのに」
 地の底から湧き上がるような、震える怒りに満ちた声。明らかに逆上していた。ヴァルファーレは空へと舞い上がり、サリナたちを睥睨した。
「す、すっごい怒ってるけど」
「まずいな」
「俺が止める」
 そう言って、カインは空のヴァルファーレに向き合った。意識を集中し、彼は叫んだ。
「リバレート・イクシオン。トール・ハンマー!」
 クリスタルがリストレインから分離し、紫紺の光が膨れ上がった。
 しかしそこに、ヴァルファーレが巻き起こした凄まじい突風が吹き荒れた。カインは吹き飛ばされ、クリスタルはリストレインに戻された。紫紺の光が消える。カインは岩壁に激しく叩きつけられた。背中を強かに打ったカインは、一瞬呼吸が止まって意識を失った。アシミレイトも解除された。
「兄さん!」
 フェリオが駆け寄ろうとするが、暴風に阻まれてままならない。
 ヴァルファーレは空で翼を広げ、翠緑色の光を発し始めた。光は膨れ上がり、やがて開かれたヴァルファーレの嘴に収束していく。幻獣の視線の先には、気を失ったカインがいた。
「まずいです。ヴァルファーレのマナが!」
「カインさん!」
 必死の声で叫んだサリナは、頭の中に響くサラマンダーの声を聞いた。
(サリナ、僕の力を使うんだ。僕を解放して!)
 サラマンダーの言葉の意味を、サリナは瞬時に理解した。彼女はクリスタルに語りかけるようにして、叫んだ。
「リバレート・サラマンダー! フレイムボール!」
 膨大な真紅の光が生まれ、サラマンダーが姿を現した。ヴァルファーレに向けて咆哮し、サラマンダーはひと跳ねして空中で回転した。炎の竜は回転する火球となり、サリナがそれに飛び込んだ。燃え盛る猛烈な火炎が、空に浮かぶヴァルファーレへと急接近する。
 ヴァルファーレの嘴に収束した翠緑色の光が黄金の光線へと姿を変え、束になってカインへと放たれた。
 その光線にサリナの火炎球が激突した。ふたつの大きな力は拮抗したかに見えたが、徐々にサリナの力が押し始めた。力を振り絞るサリナとサラマンダーの声が重なって響く。そしてついに火球がヴァルファーレに着弾した。
 弱々しい声で啼きながら、ヴァルファーレは力を失って地面に落ちた。
 風が止み、サリナも着地した。息を切らせ、方膝をつく。アシミレイトは解除されていた。
 フェリオとセリオルがカインのもとへ駆け寄り、気付けを施した。激しく咳き込みながら意識を取り戻したカインは、フェリオに助け起こされた。
「見事なリバレートでしたね、サリナ」
 カインを連れて自分のところへ集まった仲間たちから、サリナは賞賛の声を浴びた。
「あ、ありがとうございます。カインさん、大丈夫ですか?」
「ああ。これくらいなんてことないさ」
 カインの強がりに笑いがこぼれた。気が抜けたのか、サリナは膝から力が抜けたように倒れこみそうになった。セリオルが受け止め、彼女を抱え上げた。
「あの、ごめんなさい」
「気にしないでください。君より年上の男性でもああなんですから」
 笑顔を浮かべながら、セリオルがそう言った。当てこすられたカインが不満の声を上げたが、サリナたちの笑い声にかき消された。
 4人は力無く地に横たわるヴァルファーレのもとへ向かった。幻獣は、それでもなけなしの力を振り絞って顔を上げた。
「人間め……そして人間に与する幻獣の、愚かなことよ……」
 弱々しい風の声。その声に呼応するかのように、サリナ、カイン、フェリオのクリスタルが輝いた。サラマンダー、イクシオン、アシュラウルの3体の幻獣が姿を現した。
「ヴァルファーレ、この者たちは幻獣に敵対した人間を討とうとしているのだ」
 アシュラウルがそう言った。低く、力強く、大気を震わせる声。
「ハデスが敵についている。我々にはそれを止める義務があろう」
 イクシオンが続けた。その言葉に、ヴァルファーレは驚いたようだった。
「馬鹿な。闇の玉髄の座の、ハデスがだと。なぜそんな愚かなことを」
「彼は、ゼノアって人間と一緒になってマナを占有しようとしてるんだよ」
 サラマンダーが悲しげに言った。ヴァルファーレは動揺していた。風の幻獣は、炎、雷、力の幻獣の言葉を俄かには信じられなかった。だが、彼らの言葉が嘘だとも思えなかった。
「それが真実だとすれば、ハデスほどの強力な幻獣が我々に敵対したということか」
「そう。だから僕たちは、彼を止めないと。人間たちだけの手には負えないよ」
「なるほどな……」
 ヴァルファーレはしばらく沈黙した後、よろよろと立ち上がった。そしてサリナたちの正面にその巨躯を向けた。
「人間たちよ、事情も聞かず、申し訳ないことをした。どうやら私も、部外者ではいられない。及ばずながら力を貸そう」
「おわ、マジで?」
「ありがとうございます!」
 カインが驚きの声を上げ、サリナがヴァルファーレに駆け寄った。ヴァルファーレの傷ついた羽毛に顔を埋める。もうヴァルファーレの身体はマナを奪い取ることはなく、触れることもできた。そういえばさきほど、フェリオもアシュラウルの背に乗っていた。どうやら触れられるかどうかは幻獣の意志次第らしいと、サリナは考えた。
「傷、大丈夫ですか?」
「時間が経てば癒える。我々はマナが無くならない限り不死身だ」
「よかった」
 ヴァルファーレの羽毛は繊細で、サリナはふかふかの布団に埋もれたような錯覚に陥った。頭の上で幻獣の声がする。
「風のリバレーターはいるか?」
「リバレーター?」
 カインの疑問に答えたのは、セリオルだった。
「あなたたちのように、リストレインで幻獣を使役する能力を持つ人のことです。我々の言葉では“共鳴者”あるいは“解放者”と呼びますね」
「ほほう。でもいないな、そんな奴」
「探すか、風のリバレーター」
 フェリオが銃をホルスターにしまいながらそう言った。そうは言っても、とカインが苦言を呈しかけたところに、セリオルが進み出た。彼は法衣の下に身に付けていた首飾りを取り出した。細い鎖に繋がれた首飾りは、翠緑色の不思議な光沢を持っていた。丸い穴が、3つ空いている。
「うおい、それちょっと、セリオル」
「はは。黙っていましたが、風のリバレーターです、私。戦わず、ヴァルファーレに事情を話そうとしたんですが」
 振り返って風のリストレインを掲げ、どことなく得意そうな顔で笑顔を作り、セリオルはそう言った。仲間たちは呆気に取られた。
「か、風のリストレインは所在が明らかだって、そういうことかよ」
「幻獣研究所を抜け出す時に、失敬して来ました。自分がこれを扱えることを発見したのは、抜け出した後でしたけどね」
「セリオルさん、すごい」
「抜け目無いな、さすがに」
「ったく、俺たちにも黙ってるなんてな。ほんと食えない野郎だ」
 仲間たちの声に微笑みで答え、セリオルはヴァルファーレに向き直った。風の幻獣はひとつ頷き、嘴を開いた。
「風のリバレーターよ。お前の名は?」
「セリオル・ラックスターと申します。風の幻獣、ヴァルファーレよ。私と共に戦ってください」
「いいだろう。私はヴァルファーレ。風の幻獣、碧玉の座。これより私は、セリオル、お前のクリスタルとなろう」
 ヴァルファーレの身体が翠緑色に輝き、膨らんだ光が収束してクリスタルとなった。風のクリスタルはセリオルのリストレインに収まり、光が止む。セリオルはリストレインの首飾りをもはや法衣の下には隠さず、胸の前に鎖から垂らした。
 幻獣たちはそれぞれクリスタルに戻り、サリナたちは疲れのためにしばらくその場に座って空を見上げていた。一時的に風の止んだ峡谷に、それでも綿毛のような胞子が飛んでいた。

挿絵1    挿絵2