第20話

 とっぷりと日が暮れ、噴水広場には夜の帳が下りていた。穀倉の街は夜になると、虫たちの美しい歌声に包まれる。翅を震わせて愛を歌う虫たちは、収穫祭の夜にも慎ましやかに清らかに歌い上げている。
 虫たちの歌に、篝火の爆ぜる音が混じる。篝火は街の入り口から目抜き通りを過ぎ、中心の噴水までまっすぐに、街路樹のように等間隔で掲げられている。噴水の前には祭壇が設けられ、街でとれた農作物の数々が供えられている。祭壇の中央には90個の米俵と、奉納手選定祭で活躍した、あの紺碧色の球体が据えられていた。
 住民たちはそのほとんどが噴水広場や目抜き通りに集まり、奉納手が現れるのを待ちわびていた。
「おせえな」
「そろそろですね」
 セリオルたちは噴水広場にいくつも並べられた長椅子に腰を落ち着けていた。長椅子と長椅子の間にはテーブルも置かれている。虫の声と篝火の音とが夜気に紛れ、心地良い空間をつくっていた。
 声を発することを禁じられているわけではなかったが、あたりは大勢の人が集まっている割には静かだった。彼らと一緒に座っている“豊穣の麦穂亭”のエメリが、温かい飲み物を満たしたポットを持ち上げた。それをマグカップに注ぎながら、彼女は収穫祭のことをセリオルたちに説明した。
「まだ静かにしててね。奉納が終わるまではお酒も飲まずに待つのがしきたりだから」
「道理で」
 カップを受け取りながらフェリオは頷いた。
「祭りって言う割には静かだもんな」
「屋台の皆さんもサリナを待ち遠しく思っているでしょうねえ」
 見回すと多くの屋台が準備を完了しているようだった。篝火も多いのであたりは暗くはないが、立ち並ぶ屋台は我よ我よと松明を燃やしている。
 しばらく温かいお茶を飲みながら待つ時間が流れた。篝火の熱で寒くはないので、お茶で身体がほかほかとして気持ちが良い。炎の音が眠気を誘う。
 りん――と。鐘の音が響いた。
 人々が一斉に顔を上げて目抜き通りの向こうに目を向けた。
「お、始まるかな」
「あれサリナか?」
 フェリオが指差した先には、白い装束を纏った人物がいた。かなり距離があるので判然としないが、目抜き通りの真ん中に立つその様子から、どうやら奉納手に間違い無いようだった。つまりサリナである。
 鐘の音が増える。それに合わせて楽器の演奏が始まった。始めは弦楽器の音。次第に管楽器や打楽器の音も現れていく。それらの音色は、奉納手の後ろに続いて歩く音楽隊によって奏でられていた。徐々に噴水広場に近づいてくる。
 サリナは緊張の面持ちで足を進めた。10個の米俵を正三角形に積み上げ、固定した供物を胸の前に掲げながら。装束の裾は長く、踏んで転ばないようにと気が気ではなかった。頭に付けられた冠のような装飾品も華奢で繊細なつくりで、姿勢を崩すと落として壊れてしまうという心配もあった。その上リプトバーグ中の人々が彼女に視線を注いでいる。その中にはきっとセリオルたちのものもあるだろう。
 かくして彼女の顔は引きつったような表情で固まっていた。
「うは。なんて顔してるんだあいつ」
「はっはっは。緊張してんなー」
「もともと上がり症ですしね」
 近づいてきたサリナを見て、3人は吹き出した。声を上げないのに必死だった。エメリも苦しそうだ。
「あの子、意外と衣装は似合ってるのに、ひどい顔ね」
「あとで言ってやってください」
 噴水広場に到着し、サリナは仲間たちがいるのに気がついた。そして彼らが自分を見て笑いをこらえているのにも。彼女は赤面するのを自覚した。
 祭壇の前に立ち、彼女はひざまずいた。音楽が止み、鐘の音がりんと響いて止まった。月の光が白々と祭壇を照らしている。篝火がぱちぱちと爆ぜる。虫の音が響く。彼女は祝詞を上げた。
「大いなる、恵みの幻獣の御前にて。奉納手、サリナ・ハートメイヤーが申し奉る」
 打ち合わせで何度も確認した口上だが、忘れないように噛まないようにと彼女はそれだけを考えていた。なにせあたりは静謐である。彼女声は朗々と響いた。
「偉大なる大地の幻獣、ミドガルズオムル。清浄なる水の幻獣、リヴァイアサン。神聖なる恵みの炎の幻獣、フェニックス。3柱の守護神に、我、リプトバーグの豊穣を願い奉らん」
 顔を上げ、サリナは供物を祭壇へ差し出した。100の米俵が揃った。こぶし大の可愛らしい米俵も、100個集まると壮観だった。祭壇の脇に篝火が増やされ、炎が灯された。炎が赤々とサリナの顔を照らす。白い装束に、その色は美しく映えた。
「馬子にも衣装ってやつだな」
 セリオルにカインが耳打ちした。
「それ、言ったら怒りますよ」
 苦笑しつつ、セリオルはお茶を飲んだ。フェリオは何も言わずに祭壇を見つめている。
「3柱の幻獣よ。今年もこのリプトバーグに、大いなる恵みのあらんことを。大いなる実りのあらんことを」
 サリナの祝詞が終わった。彼女は再び頭を垂れた。鐘の音が響き、楽器が鳴る。サリナは立ち上がり、深々と礼をした。市長が彼女の後ろに立ち、街の人々に告げる。
「皆さん、今年も無事、幻獣への奉納が終わりました! 奉納祭の宴、始めてください!」
 歓声が上がった。人々は立ち上がり、酒を注いだ器を掲げて乾杯し合った。屋台が稼動する。賑やかな声が一気に溢れた。歓声と、酒と、料理と、歌声と。宴が盛大に始まった。

 ふらふらとやって来たサリナを、フェリオとエメリはあたたかく迎えた。フェリオとエメリはふたつの長椅子に向かい合った格好で座っていた。
 サリナは奉納を終えた後、街の人々から話しかけられ、賞賛され、握手を求められた。事務的ないくつかの手続き――つまり100万ギルを受け取るための書類の手続きを終え、装束を自分の服に着替えてやっと広場に戻って来ることが出来たのだった。
「つ、疲れました〜」
 隣りにすとんと腰を下ろしたサリナに、エメリが飲み物を渡した。ポットの中身は既に空だった。歩き売りを買った、少しだけ酒の入った温かく甘い、果実入りの飲み物である。
「お疲れ、サリナ」
「う、うん……あ、美味しい」
 宴は盛り上がっていた。街全体が酒と歌に酔いしれているようだった。
「私、うまくできてましたか?」
「上出来上出来。可愛かったよ」
「あ、ありがとうございます」
「ミドガルズオムルじゃなくて、ミドガルズオルムだけどな。幻獣の名前」
「えっ。間違ってた!?」
「間違ってた」
「はは、恥ずかしい……あんな大勢の前で……」
 酒のせいではなく真っ赤になって縮こまるサリナに、エメリとフェリオが笑った。エメリが飲み物を勧め、サリナは恥を忘れようとするかのようにぐいと飲み干した。
「セリオルさんとカインさんは?」
「あのふたりは屋台に買い物に行ったよ。私とフェリオは留守番」
「あ、いいなあ。私も屋台見に行きたいな」
「ふたりが帰って来たら入れ替わりで行ったら? フェリオとふたりでさ」
「えっ」
 どことなく含みのあるエメリの口調に、サリナはまたしても赤面した。
「あはは。赤くなった赤くなった」
「エエエエエエメリさん!」
「ほらほらフェリオ、サリナちゃんが行きたいってさ」
「なななな!」
 エメリの袖をぐいぐいと引っ張って混乱しているサリナに、フェリオは苦笑した。彼は酒の入ったカップをテーブルに置いた。
「じゃあ行こうか、サリナ」
「えっ。フェフェ、フェリオっ」
「あっははは」
 そんなことをしているところへ、セリオルとカインが戻ってきた。セリオルは両手にひとつずつ、カインはどうやっているのか、両手に4つずつくらいの皿を持っている。色とりどりの屋台料理が満載されている。
「よお、サリナ。なんだ真っ赤な顔して。そんなに飲んだのか?」
「いえ、あの、違うんです……」
「ん?」
「おやおや」
 縮こまるサリナに、フェリオとエメリが笑った。そんな中、セリオルはなんとなくぴりっとしているとサリナは思っていた。
 セリオルとカインが買ってきた料理でほとんど満腹だったが、屋台の雰囲気を味わいたいサリナは結局フェリオとふたりで祭りを周ることにした。
 夜には終わりが無いのではと思えるほど、宴の盛り上がりは衰えることが無かった。賑やかなのは広場と目抜き通りだけではなく、目抜き通りから延びる同心円の通りも、目抜き通りに近いあたりは屋台が並んでいて人々が陽気に飲み交わしていた。
 サリナとフェリオはそういった目抜き通りから少し逸れた通りの屋台を覗いていた。売り子の口上にフェリオが惹かれたためだった。
「フェリオ、これ好きなの?」
「ああ」
「兄さん、目が利くねえ! うちのはここらで一番質が良いよ!」
 ねじり鉢巻をした売り子の青年が威勢良くそう言った。フェリオは本当に目利きに自信があるようで、青年ににやりと笑みを投げかけていくつかのやりとりをしていた。生産の過程だとか与える肥料だとかの話で、サリナにはさっぱりわからなかった。
 受け取った商品は串焼きだった。細長い串に、フェリオが好物だと言うそれがいくつも刺さっている。芳醇な香りが鼻腔をくすぐる。火傷をしないようによく吹いて、サリナはそれをかじった。味付けは塩とバターのみのシンプルなものだが、えもいわれぬ香りと風味が口の中で広がった。歯ごたえも良く、サリナはいっぺんにその食べ物が好きになった。
「わあ、おいしいねえ!」
「だろ? 昔から好きなんだよ、これ」
「今度お料理にも使ってみようかな、クルリンタケ」
「是非使ってくれ。特にシチューがお勧め」
 そんなやり取りをしていると、広場のほうで花火が上がった。どん――と打ち上げる音が響き、美しい大輪の花が夜空に咲く。ひとつの大きな花火の後、いくつもの小さな花火が舞い踊った。冷たい光を放つ月を背景に、七色の光が漆黒の夜空を彩る。その幻想的な光景に、サリナは夢の中にいるような心地だった。
「サリナ、戻ろう。兄さんが、見つけたって言ってる」
 耳元で囁かれたフェリオの声に、サリナはどきりとして振り返った。
「え、あっ……え?」
 間近にフェリオの顔があった。花火の音で声が通りにくいためだったが、サリナは顔が熱くなるのを自制出来なかった。花火の色で悟られないようにと、彼女は願った。
「スペクタクルズ・フライ――兄さんの偵察用の虫が戻ったらしい。掏りが見つかった」
「え!」
 ふたりは噴水広場へ走った。

 そこは街の外れ、農作地があるのとは逆側の寂れた界隈だった。奉納祭の賑わいも遠く、住人はひっそりと隠れるようにして暮らしているようだった。
 サリナたち4人は用心しながら歩いていた。治安が良いようには見えなかった。
「やっぱりあいつだったか」
「ああ。スペクタクルズ・フライが確認した。あいつの家にあるぜ、サリナの財布」
 サリナは気が重かった。あの少年が掏りの犯人とわかって、財布を取り返しに行くことになった。しかし彼女は、賞金の100万ギルがあればもうそれで構わないのではという気になっていた。あの少年は貧しいようだった。生活に困ってやったのだろう。それが意外に大きな額が入っていたので、奉納手選定祭の賞金と合わせて商売を始める元手にしようとした――
 今頃彼は落ち込んでいるだろう、と彼女は思っていた。カインはそんな彼女の想像を笑った。あいつは落ち込んでいい立場じゃない、というのが彼の主張だった。そしてそれは正しい主張だった。
 やがて彼らは、目的地である1軒の傷んだ小屋に着いた。土台が腐っているのか、小屋は全体的に傾いて見えた。
「あれだ」
 カインが指差した扉がタイミング良く開いた。出てきたのはあの少年だった。どこかへ出かけるところだったのか、手には小さな袋を持っている。少年はすぐにこちらに気づき、顔を歪めた。
「よお。元気かい少年」
「またてめえらか。何の用だよ」
 少年は粗い口調で吐き捨てるように言う。その様子にカインは苛立ったようだった。
「あ? わかってるだろそんなこと」
「わかんねえよ。用が無いなら帰れ。暇じゃねえんだ」
「てめえ……」
 冷静さを失いかけたカインの肩を、セリオルが掴んだ。振り返ったカインに、セリオルはかぶりを振って見せた。その瞳は、冷静になりましょうと訴えていた。カインはひとつ大きく息を吸い込んで吐き出し、少年に向き直った。
「盗んだ金を返してもらいに来た。お前が持ってるのはわかってる」
「はあ? 何わけわかんねえこと言ってんだ」
 少年はそう白を切った。しばらく押し問答が続いたが、少年は頑として認めようとはしなかった。
「そんなに言うんだったら証拠を見せろよ。あるのかよ証拠は」
 その言葉に、カインは押し黙った。確かに彼の手元に、確たる証拠は無かった。スペクタクルズ・フライが見てきた映像を彼も見ることは出来たが、それを他の者と共有化することは出来なかった。
「こんの野郎」
「証拠も無いのに人を掏り呼ばわりかよ。頭おかしいんじゃねえの」
 カインの怒りを宥めるのに、サリナとセリオルは苦労した。ここで手を出してしまっては相手の思う壺だった。それだけは避けなくてはならない。
「用は済んだか? なら俺、もう行くぜ。急ぎの用が――」
「あったあった。これだろ、サリナ」
 少年の言葉を遮ってそう言いながら、フェリオが小屋の陰から現れた。そういえばいつの間にか姿が見えなくなっていた、とサリナは思い出した。その手にはサリナのものらしい財布――といっても金を詰め込んでおく袋だが――が携えられていて、彼はそれを見えやすいように掲げて見せた。
「あ、私の財布!」
「なに!?」
 驚きの声を上げたのは少年だった。
「小屋の中の箪笥に押し込まれてたよ。兄さんの言ったとおりだった」
「てめえ、人ん家に勝手に入ったのか! 不法侵入だろ!」
「おいおい、お前は窃盗犯だろ?」
 皮肉を込めて言い放たれたフェリオの言葉に、少年は言葉を失った。彼は混乱していた。あいつはどうやって家に入ったんだ?
「さて、クロイス・クルート」
「えっ?」
 突然名前を呼ばれて、少年は顔を上げた。
「おや、名前を知られているのが不思議ですか? うちには優秀なスパイがいましてね。彼なんですが」
「俺俺、俺がスパイ」
 カインが前に出て胸を張った。クロイスは彼を睨みつけた。その様子を見て、セリオルがカインに耳打ちする。
「あまり追い詰めるのは止めましょう。何をしてくるか」
「わかった。とっ捕まえて自警団に突き出すか」
「しっ――」
 だがもう遅かった。カインの言葉はクロイスに聞こえてしまっていた。少年はその手に短剣を構えていた。鋭い刃が月の光を受けて煌いた。
「おいおい、やるってのか、この人数相手に」
「うるせえ! 俺は捕まるわけにはいかねえんだよ!」
「勝手なことぬかしやがる」
 鞭に手を遣ってずいと前へ出ようとしたカインの腕を、掴んだのはサリナだった。カインは驚いて振り返った。サリナが彼に代わって前に出た。
「もうやめようよ。ここで戦って、何になるの?」
「サリナ、庇うことはねえよ。こいつにはお灸が必要だ」
「でも――」
 カインを振り返ってサリナに、クロイスが襲いかかった。不意打ちだった。カインがサリナを突き飛ばし、クロイスは空振りを食った。セリオルが足払いをかけ、クロイスは大きく転倒した。素早く立ち上がるが、構えた短剣はフェリオによって叩き落され、遠くへ蹴り飛ばされた。
「くそ……くそ! お前さえ倒せば!」
 激昂して、クロイスは懐から別の短剣を取り出した。それは紺碧色の光沢を持つ金属でできているようだった。
「弾けろ、俺のアシミレイト!」
 紺碧の光が膨らんだ。サリナたちは素早くクロイスから距離をとった。それぞれにリストレインを構える。クロイスが光の中から突進してきた。
「輝け、私のアシミレイト!」
「奔れ、俺のアシミレイト!」
「集え、俺のアシミレイト!」
「渦巻け、私のアシミレイト!」
 4人は同時にアシミレイトした。真紅、紫紺、銀灰、翠緑、4つの光が輝く。あたりは途端に昼のような明るさになった。膨れ上がった4つの光に、クロイスの足が止まる。彼は唖然として立ち尽くした。やがて光が収まり、リストレインの鎧を身に付けた4人の戦士がその姿を現した。
「な、なんだよそれ……反則じゃねえか……」
「アシミレイトできるのはサリナだけだと思っていたようですね」
「馬鹿だなー、お前」
「まあ普通思わないさ、4人全員が出来るなんて」
「ねえ、もうやめよう?」
 かけられたサリナの声に、クロイスはその場に膝をついた。

挿絵