第24話
その巨体に関わらず、バッファリオンの動きは俊敏で迅速だった。黒き疾風が如く、魔物は木々をなぎ倒しつつサリナたちに迫った。サリナたちはチョコボを操り、かろうじてその猛攻を回避していた。すれ違いざまに黒鳳棍での攻撃を試みるサリナだったが、体重の乗らない攻撃は魔物に命中しても、さほどの威力を発揮しはしなかった。 やがて幾本目かの木がへし折られた時、セリオルが疑問を口にした。 「彼は、何をそんなに怒っているのでしょう」 ブリジットの背で、セリオルは冷静に魔物を観察していた。攻撃を回避することは容易かった。バッファリオンはほとんど直線的な突進しか繰り出して来なかったからだ。恐るべき速度で巨体が突っ込んでくるが、真っ直ぐに動くものを避けるのに苦労は無かった。 しかし魔物の様子が尋常ではなかった。始終鼻息が荒く、サリナたちというよりは、目の前の動く物に対して盲目的に攻撃を繰り返しているように見えた。セリオルはその様子に、黒魔法での攻撃を加えることが出来ないでいた。まるで苦悩する人間のように見えたからだった。 「こりゃちょっと、このままじゃ無理だな」 そう言いながら、カインはルカの背から降りた。ルカはバッファリオンから目を離さないまま、少しずつ戦闘の場を離れた。 「チョコボに乗ったままじゃ、まともに攻撃できねえよ」 「カインさん、危ない!」 「あん?」 サリナの声に顔を向けると、バッファリオンの巨躯が迫っていた。カインは素早くその場を離れた。一瞬前までカインが居た場所を、魔物が通過する。その瞬間、カインは鞭をしならせた。鞭はバッファリオンの脚に絡まった。 「よし、お、おおおおおお!?」 カインの狙いは、縦横無尽に疾駆する魔物を止めることだった。鞭を絡ませての転倒を図ったが、その圧倒的な脚力に、カインが逆に引っ張られることになった。 「おわわわわわわ!」 「兄さん!」 フェリオは一瞬にして長銃を組み替え、引き金を引いた。弾丸は魔物の尻に的中した。それは銃弾ではなく、注射器に似たものだった。麻酔銃だった。 しかしバッファリオンは意に介さぬように身体を反転させた。その勢いに引っ張られて、カインが魔物に衝突した。彼は魔物の瞳を間近で見ることになった。 「おう……」 一瞬の停止の隙を突いて、カインは鞭を解いた。彼は魔物の身体を蹴って跳び、近くに来ていたルカの背に再び乗った。 「地面にいるほうが危ねえな」 「当たり前だろ!」 罵るように言いながら、クロイスが弓を引いた。3本同時に放たれた矢は、木々の間を縫って空を裂き、バッファリオンの眉間に命中した。魔物が苦悶の声を上げる。しかし倒れない。狂ったように頭を振り、矢尻が突き刺さったままの矢を木にぶつけてへし折ってしまった。 「なんて奴だ」 呆気にとられるクロイスを、カインが腕を上げて止めた。攻撃を止めろという意図だった。 「なんだよっ」 「いいからちょっと聞け。皆も聞いてくれ!」 バッファリオンは眉間から流れ出した血が目に入ったか、見当違いな方向へ攻撃を仕掛けては木に激突していた。 「カインさん、どうしたんですか?」 「何かわかりましたか」 口々に声を掛けながら、仲間たちはカインのもとに集まった。ひとつ頷いて、カインは話し始めた。 「さっき間近であいつを見て、気づいた。あいつ、正気じゃねえんだ」 「んなことわかってるよ。あれを見りゃ」 狂乱して突進を繰り返している魔物を指差してクロイスが呆れたように言ったが、カインは首を横に振った。 「そういうことじゃねえんだ。あいつの毛皮の下に、古い傷がいくつもあった。塞がったばっかりの新しいやつもだ。あいつ、ここに来るまでにもあんな様子でそこら中に傷を作ってたんだ」 「どういう意味だ?」 フェリオが、いつになく真剣な表情のカインに尋ねた。獣使いは瞬間、歯を食いしばるような様子を見せた。 「あいつは怒ってるんじゃない。怯えてるんだ」 「怯え……?」 サリナはまだ突進を繰り返しているバッファリオンを見た。確かに、怯えた動物が周囲のあらゆるものを攻撃しようとする様子に似ていた。 「バッファリオンてのは、身体はでかいが大人しい魔物なんだ。マナの影響を濃く受けてはいても、人間に危害を加えようとは普通はしねえ。草食だからな」 「じゃあ、どうして?」 サリナの疑問に、カインは頭を振った。 「はっきりとはわかんねえ。あれを見てるだけじゃな。ただ、宿泊所のひとが、魔物が“出現した”って言ってたのが引っかかる。どっかから逃げてきたんじゃねえか、この森に」 「他の場所で、何らかの攻撃を受けたってことか」 フェリオはバッファリオンから狙いを外さないよう、麻酔銃を構えたままだった。銃の機構を連射式のものに組み替えていた。連続で麻酔を打ち込むためだった。 「自然現象でないとしたら、ここから一番近いのは王都、ですね」 含みを持たせて、セリオルはそう言った。その言葉に、カインが歯軋りする。 「ゼノアの野郎が関わってることも大いにありうる。クロイス、最近魔物が増えたって言ってたな?」 「あ? あ、ああ」 突然話を振られて、クロイスは慌てて答えた。彼は思っていた。ゼノアって誰だ? 「ゼノアのやつがマナやら幻獣やらをいじくる研究をしてるとしたら、世界のマナのバランスが崩れたとしても不思議じゃない」 「……その可能性はありますね」 カインはセリオルの言葉に頷いた。魔物がゼノアの研究の犠牲になっていると想像すると、腹が煮えくり返る思いだった。 「止めてあげよう」 言いながら、サリナはバッファリオンのほうへアイリーンの頭を向けた。巨牛はようやく視界が晴れたか、額から血を流しながらこちらを向いたところだった。サリナの言葉に、仲間たちが頷いた。 「愚者よ見よ、その目が映すは我の残り香――ブリンク!」 サリナの魔法が、サリナたちの幻を生み出した。幻はサリナたちにほとんど重なって動いた。 「もし突進を受けても、幻が身代わりになってくれます!」 その言葉に頷いて、仲間たちはチョコボを散開させた。それぞれに直接的な攻撃ではなく、動きを封じる作戦に出た。 「黒き風。夜の微睡、夢魔の翼――スリプル!」 セリオルの杖から黒い靄が現れ、バッファリオンを包んだ。魔物はその靄を振り払おうとして暴れたが、少しずつ動きが鈍っていく。しかし眠りの魔法でも、バッファリオンを完全に眠らせることは出来なかった。 少し速度を落として、それでも恐ろしい破壊力の突進がサリナたちを襲った。チョコボたちは賢く、その単純な攻撃を簡単に回避した。 カインが胸の前で印を結ぶ。 「青魔法の肆・スパイダーウェブ!」 蜘蛛の太い粘糸のようなものがバッファリオンに絡みついた。それはバッファリオンと地面を繋ぎとめ、動きを封じた。粘糸の中で魔物が暴れる。糸は少しずつ地面から剥がれていった。 「おいおい馬鹿力だな」 呟いたカインの脇を、フェリオの麻酔弾が飛んだ。連射式に改造された銃は、麻酔弾を次々に発射した。自分を眠らせようと連続して注入される麻酔薬に、粘糸を剥がそうと躍起になっていたバッファリオンは苛立った。 巨牛の咆哮が起こった。鳥たちが木々から飛び立つ。粘糸は剥がれつつあった。麻酔も効いているようで効いていない。 「全然止まらないね……」 自分自身では魔物の動きを封じる術を持たないサリナが、アイリーンの手綱を握り締めて言った。同じく手立ての無いクロイスも歯噛みしていた。 「くそ、幻獣が使えりゃあな」 「え?」 少し驚いて、サリナはクロイスを見た。その視線に気づき、クロイスがこちらを向く。 「なんだよ?」 「アシミレイト出来たら止められるの?」 「あ? ああ、オーロラの力でな。眠りを誘発する氷の力だ。魔法なんかよりずっと強力だと思う」 「やろうよ!」 意気込むサリナに、クロイスは白い目を向けた。 「気づかれちまうだろ、警備してるやつらに」 「もう気づかれるよ。こんなに吼えてるんだもん、バッファリオン。ほら」 森の向こうを指差しながらサリナが言ったその言葉に、クロイスは耳を澄ました。確かに遠くで、大勢の人間が警戒の声を発しているのが聞こえる。声は、間違いなくこちらに向かって来つつあった。 「……ほんとだな」 「ね? どうせばれてるんだし、やっちゃおうよ」 「お前、意外と悪い奴だな」 にやりとして、クロイスはリストレインを取り出した。サリナもにやりとした。 「俺がアシミレイトしてバッファリオンを止める! 援護してくれ!」 クロイスの声に、魔法を唱えようとしていたセリオルが振り返った。クロイスの手にあるリストレインを見て、セリオルはスピンフォワード兄弟に指示を出した。魔物のそばを離れるように、と。 「弾けろ、俺のアシミレイト!」 紺碧の光が膨れ上がった。短剣型のリストレインが変形し、鎧へと姿を変えていく。水の鎧はクロイスの身体を覆った。光が収まり、水の戦士が中から姿を現した。 バッファリオンは粘糸を剥がし、再び突進しようと構えていた。麻酔や魔法の影響が少しはあるのか、徐々に動きが鈍くなってきてはいるようだった。 「強力な催眠の術をかける! 連発はできねえから、奴の動きを止めてくれ!」 そう言って、クロイスは胸の前に短剣を構えた。水のマナが収束していく。短剣はその刀身に少しずつ氷を纏っていった。カインとの戦闘で見せたような攻撃的で鋭利な氷ではなく、雪の結晶にように繊細な氷だった。 「カイン、少しばかりダメージを与えないと、動きは止まりませんね」 「お? ああ、そうだな――え、おいおい」 うっかり返事をして、カインはやや後悔した。セリオルがリストレインを構えたからだった。彼としては出来るだけ傷の少ない状態に留めておきたかった。 「渦巻け、私のアシミレイト!」 膨大な翠緑の光が出現した。渦巻く風のように光は舞い、セリオルの首飾り型のリストレインが変形していく。やがてセリオルの身体を覆う、翠緑色の美しい鎧が生まれた。突如起こったふたつの大きな光に、魔物が混乱する。 「最低限に留めてくれよ!」 「わかっていますよ」 セリオルは杖を構えた。数度、彼はそれを振るった。マナを帯びた翠緑色の風が、刃となってバッファリオンに襲いかかった。しかしまるで痛みを感じないかのように、魔物はセリオルに向かって突進してきた。 ブリジットが軽やかに突進を回避した。セリオルは溜め息をつき、杖を再び構えた。 「タフですねえ」 マナの風が渦となって魔物を囲んだ。渦は真空を生み出し、それは刃となって巨牛の皮膚を切り裂いた。漆黒の毛並みが鮮血に染まるが、魔物は意に介さない。 「これは……痛みによってというより、物理的に動かなくさせないと、止まりませんね」 バッファリオンが突進し、ブリジットが回避する。カインはその様子を見ながら、フェリオに言った。 「なあ、あいつ今、怖えこと言わなかったか?」 「俺も聞こえた気がする」 スピンフォワード兄弟は恐る恐る、セリオルのほうへ顔を向けた。セリオルは杖を高く掲げていた。風のマナが収束する。 「頼むから殺さないでくれよー!」 カインの叫びは、果たしてセリオルに届いたのか。風の戦士は高らかに叫んだ。 「リバレート・ヴァルファーレ! シューティング・レイ!」 セリオルの頭上に翠緑の光が膨れ上がる。クリスタルが分離し、光の中でヴァルファーレが姿を現した。風の峡谷以来、久しぶりに目にする風の幻獣の姿に、カインは肩を落とした。 「兄さん、大丈夫だって。セリオルは目的を忘れはしないさ」 「そうかなあ。そうだといいなあ」 いじけるカインをよそに、ヴァルファーレの美しい声が響く。風の幻獣は空へ舞い上がった。大きく開かれた翼から、風のマナが彼の嘴へと集まっていく。マナは黄金の光となって収束し、そして解き放たれた。 無数の光線がバッファリオンに炸裂した。分厚い毛皮を貫き、光線は巨牛に食い込んだ。さすがのバッファリオンも、痛みに悲鳴を上げる。カインも同時に悲鳴を上げていた。 光線のうち幾本かは、バッファリオンの脚を攻撃していた。魔物ががくりを膝を折る。身体を支える脚を貫通されては、いかに頑丈な魔物でも立ってはいられないようだった。 「いくぜ!」 魔物の動きの止まった瞬間を、クロイスは見逃さなかった。イロがバッファリオンへと走る。鐙に立ち上がり、クロイスは短剣を突き出した。 彼の腕から短剣を通って、水のマナが噴出した。それはバッファリオンの周囲で渦を巻き、魔物を包囲した。マナは氷の結晶へと姿を変え、魔物に降り注いだ。膝を折ったバッファリオンの瞳が、真紅から青へと変わっていく。瞼が重いのか、巨牛は身体を丸めて地面に寝そべった。やがてバッファリオンは眠りに落ちた。それはあたかも、雪山で寒さのために眠りに落ちてしまう獣のようだった。 「見たか!」 クロイスはアシミレイトを解除した。リストレインは元の短剣へと戻った。サリナがアイリーンと共にやって来た。 「やったね!」 満面の笑顔のサリナに、クロイスは顔をぷいと背けた。鼻がむずむずした。 「お、おう。まあな」 こちらもアシミレイトを解除したセリオルが、カインのところへ来た。彼はカインの様子を見て苦笑した。フェリオも同様だった。 「カイン、今ですよ」 セリオルの声に、カインは身体を起こした。彼はルカの首にしがみついていじけていた。 「おおう」 驚いたことに、バッファリオンが眠っているではないか。カインは嬉々として獣ノ鎖を取り出した。 獣ノ鎖はするりとバッファリオンに巻きついた。巨牛は青白い炎となって、獣ノ箱に収まった。 「バッファリオン、ゲットだぜ!」 高らかに獣ノ箱を掲げるカインを見て、クロイスは唖然とした。彼はサリナに尋ねた。 「なあ、あれ、何したんだ?」 「あ、うん、あれはね、カインさん、獣使いだから。バッファリオンを捕獲したんだよ。今度また危ない戦いがあったら、きっとバッファリオンの力を使ってくれるよ」 「へええ〜。そんなことができんのか」 クロイスは、改めてこの一行の力に感嘆した。リプトバーグからこっち、いくらかの会話の中で色々な能力のある連中だとは知っていたが、目の前にしてみて改めて驚いたのだった。ただ幻獣の力に頼っているだけではなく、各々が戦況に合わせて瞬時に自分の役割を見出し、それを実行していた。その連携の良さと、作戦を立てなくても分かり合える信頼関係に驚くばかりだった。これまでの自分には、全く無かったものだった。 そして彼は、その連携の中に自分も参加したことに、どこか誇らしさを感じていた。 「おいクロイス、お前やるじゃねえの」 カインがクロイスの頭をくしゃりとやった。帽子がずれ、クロイスの目まで覆ってしまった。 「おわ、こら、何すんだっ」 「はっはっは。これにて一件落着」 からからと笑うカインに、クロイスは帽子を直しながら睨みを利かせた。しかしカインはまったく意にも介さないようだったので、彼はそれをやめてぶすっとした。 「あ、あなた方、今何をしたんです?」 突如掛けられた声に驚いて振り返ると、宿泊所のバーテンダーが似合わない鎧を身に付けてそこに立っていた。彼以外にも大勢の男たちが、呆然としてこちらを見ていた。 「魔物が炎に身を変えて、消えてしまったように見えましたが……」 「ええ、魔物は退治しましたよ」 こともなげに口にされたセリオルの言葉に、男たちは仰け反った。 「な、何者ですか、あなた方は。王都の金獅子隊が討伐に来る予定だった魔物ですよ、あれは」 「そりゃすげえ。俺たちもすげえな。はっはっは」 「やれやれ、気楽だな兄さんは」 上機嫌に笑うカインの隣りで、フェリオが苦笑した。 「おう、それが俺の持ち味だからな」 「持ち味って、なんだそりゃ」 そんなやり取りをして笑っている不可解な、色とりどりのチョコボにまたがった連中に、宿泊所の職員たちはただただ呆然とするばかりだった。 |