第30話
試練の迷宮はきわめて複雑で、きわめて単純なつくりをしている。通路、階段、扉、部屋が無数に配置され、立体的に入り組んでいるが、それらすべてがひとつの巨大な空間の中に収まっているのだ。それらは土もしくは石で造られていて、その大空間の壁面に配された魔法の燭台によって煌々と照らされていた。 「うわあ……広い」 扉をくぐったところでセリオルの陰から迷宮の姿を確認して、サリナは茫然と呟いた。セリオルも目の前に広がる光景に、ただ立ち尽くすばかりだった。 入り口から見渡せば、迷宮の全貌が把握できるとも思えた。しかしどれだけ見回しても、目指すべき最深部というものがどこなのかはさっぱりわからなかった。開かれた扉から伸びる階段はその途中で直角に折れ、他の階段の下へと潜り込んでいてどこへ向かうのかわからない。また、その気になれば階段の途中で、交差する他の階段や通路へと移動することも出来そうだった。進む道の選択肢は無数にあるが、到達すべき場所がどこにあるのかわからない。 「これは、難題ですね」 階段の前まで足を進めて、セリオルは顎に手を当てながらそう言った。後に続いて入って来た仲間たちが口々に感想を述べ合っている。 「すごいな……。どうやって造ったんだ、これ」 「昔のひとはすげーことが出来たんだな。リプトバーグよりずっとすげーよこれ」 「おいフェリオ、俺から離れるんじゃないぞ。はぐれたら見つけられる自信がねえ」 カインのその言葉に、仲間たちが全員彼に注目した。アーネスを除いた4人からじろじろと視線を浴びせられて、カインは居心地悪そうに身じろぎした。 「な、なんだよ。俺何か変なこと言ったか?」 仲間たちは頭を突き合わせて話し合った。かつて無かった事態だった。 「カインさん、どうしたんですか。頭でも打ったんですか」 「いや、ここまででそんな様子は無かった」 「もしやさっきの魔法の仕掛けを見たせいで、なんらかのマナの影響が強く出てしまったのでは」 「それありうるぜ。俺もなんか現実感無くてふわふわしてる」 しばらくそんなことをした後、おいとかコラとか除け者にするなとか言っているカインを、仲間たちは振り返った。結論は出なかったが、ひとまずフェリオが代表して先ほどの質問に答えた。 「――いや、兄さんがそんなこと言うなんて、と思って」 「なんでだよ。そりゃひとりになっちまったら困るだろ?」 変なことを言うなとでも主張したそうな顔の兄に、フェリオは嬉しさを感じた。幼いころ、森で魔物に襲われた時に見た、頼もしい兄の姿だった。 「いや、いいんだ。俺は兄さんについていくよ」 嬉しさに笑みをこぼす弟を、カインは不思議そうな目で見ていた。彼は何の気なしに、フェリオに言葉を返した。 「何言ってんだよ、先頭はお前とセリオルだろ。しっかりついていくから先行き過ぎて離れないでくれよ」 フェリオは笑みを顔に貼り付けたまま、石化したかのように固まった。サリナ、セリオル、クロイスの3人はカインの言葉の意味を悟って吹き出した。フェリオは今聞いた言葉を、石になった頭の中で必死に否定していた。無駄な努力だと知りつつも。 「知ってると思うけど、俺ぁ方角を把握する能力には秀でていない。はぐれてひとりぼっちになっちまったら困るから、俺から離れないでくれ」 どういうわけか誇らしげな口調でそんなことを言う兄に、フェリオは石化したまま頭を抱えた。 「お前、やっぱり可哀想な男だな……」 「ん? なんでだ?」 アーネスの言葉にも、カインはなんのダメージも受けていなかった。 そんなやりとりをしつつも、一行はひとまず迷宮を進み出した。数段下りると、踊り場のように少し広い空間があった。その先には、さらに続く階段の入り口ででもあるかのように、ひとの身長ほどの高さの篝火が両脇に設置されている。その左右の篝火の近くには、それぞれひとつずつ何かを載せるためらしき台座のようなものがあった。 「なんだろう、これ」 しゃがんで台座を見つめ、サリナは疑問を口にした。土でできているようで、ところどころ乾燥のためかひびが入っている。天板は平らで、台の側面には文字なのか模様なのか判別し難い幾何学的な文様が刻まれている。 「入り口の封印で見たのと同じ文字ですね」 セリオルがそばに来て目を凝らした。反対側ではスピンフォワード兄弟が話し合っているが、そちらでもやはりそれが何なのかよくわからないようだった。 「いいじゃん、よくわかんねーんだから気にせずに進もうぜ」 台座に興味が無いクロイスが、頭の後ろで両手を組んでそう言った。アーネスは何も口を挟まない。 「そうだね、考えててもしょうがないね。ヴァルファーレもいないし」 「まあ、そうですね」 一行は立ち上がり、目の前に広がる大迷宮に挑むべく、篝火の間を通って次の階段へと足を踏み出した。 その時、突如として地の底から轟くような声が響き渡った。 「止まれ!」 轟音とも呼べるその声に、サリナは飛び上がるくらいに驚きながらも、瞬時に黒鳳棍を構えた。迷宮全体が声の大きさに揺れたような気がした。思わず胸を押さえる。鼓動が速い。 「な、なに?」 見回すと仲間たちも彼女と同じように、突如轟いた声に驚いている様子だった。皆、それぞれの得物を構えて警戒している。アーネスも腰に携えていた剣を抜き、盾を構えていた。眼光が鋭い。 「おいおいなんだよ、出鼻くじくなよなぁ」 カインが鞭を構え、不満そうな声で、しかし顔には笑みを浮かべてそう言った。 「お前なんで楽しそうなんだよ」 弓に矢をつがえていつでも引けるように備え、クロイスはカインのほうを見ずに罵るように言った。彼は目を細やかに動かして周囲に隈なく視線を飛ばしている。しかし、そう言う彼の口元にも自覚していないであろう笑みが浮かんでいた。 「しょうがないですよ、カインですから」 冷静に状況を把握しようと努めるセリオルは、そう言いながらいつでも魔法を発動できるようにマナを練り上げている。彼の言葉に、サリナとフェリオもつられて笑う。クロイスはそんな仲間たちの様子を見て自分も笑おうとしたが、既に顔が笑っていたことに気づいてまごついた。 アーネスは5人をずっと観察していた。彼女はこの5人組を量りかねていた。謁見の間での振る舞いは、国王と王国の重鎮たちを前にした一般人の行いとは思えない図太さだった。過去に王に拝謁しているとはいえ、幻獣を持ち出して国王を拝み倒すなど、正気の沙汰とは思えなかった。 それに、と彼女は考えていた。試練の迷宮。過去、挑んだ者の記録など無いこの迷宮に入ってなお、この者たちは笑っている。挑戦を始めた直後の不測の事態にも関わらず。この胆力が何を源泉としているのか、彼女には理解出来なかった。 「そこから先は、“拘束具”を持って進むことはならない」 轟く声が響く。どこから聞こえてくるのかわからない声に、サリナは翻弄された。声の言ったことの内容よりも、その主のことに気がいってしまう。 「皆、リストレインを台座に置いてください」 セリオルの落ち着いた声が促した。彼は既に、杖を構えるのをやめていた。法衣の下から首飾り型のリストレインを取り出し、それを無造作に土の台座に置いた。リストレインは色を失っている。 「お、おいセリオル、まずくないのか?」 セリオルの行動にカインがうろたえる。セリオルは静かに頷いた。その沈着な瞳に、カインはさらに言い募ろうとして開いた口をそのまま閉じた。 「“拘束具”……そういうことか」 フェリオがセリオルに続いた。ホルスター型のリストレインがもう一方の台座に置かれる。普段は美しい銀灰色のリストレインも、今はただ鈍く、鉛色に沈んでいる。 「大丈夫、なんだよね」 サリナは踊り場のほぼ中央にいた。左手首に手を遣る。常に彼女を守ってきたサラマンダーの化身を置き去りにすることが、彼女には不安だった。 「サリナ、それは――」 「大丈夫だ、サリナ」 そういうつもりではなかったのだろうが、セリオルが言いかけたところに割り込んだのは、フェリオだった。サリナを挟んで反対側にいる彼に、セリオルの声は聞こえなかった。 「“拘束具”っていうのは、リストレインのことだ。幻獣たちはそう呼ぶって、前にアシュラウルが言ってた。ここも統一戦争時代の遺産らしいから、リストレインのことで間違いないはずだ」 フェリオの説明を、セリオルは黙って聞いていた。フェリオの言葉に誤りは無かった。セリオルは眼鏡の位置を直して伸びをした。 「さあ、カインとクロイスも置いてください」 言われたふたりはサリナとフェリオのやり取りを見ていたので、反応が遅れた。ふたりはフェリオとサリナ、そしてセリオルをちらちらと意味ありげに見ていた。 「先生、ここでいいんすか」 「ええ、そこですよカインくん。早くしましょうね」 少しふざけてみたつもりだったカインだが、セリオルの声が思ったよりも冷たくて後悔した。 「は、はい。ごめんなさい」 彼は獣ノ鎖から素早くリストレインを取り外し、台座に置いた。クロイスがそれに続いて、にやにやしながら短剣型のリストレインを置く。 「やーい怒られてやんの」 「うっせえ馬鹿。お前だって怒られろ馬鹿」 5人はリストレインを台座に置いた。すると台座の天板からするすると蔦状の土が伸び、リストレインを固定した。魔法の力が働いているらしく、淡く琥珀色の光を放っている。 「進みたまえ」 轟く声がそう告げた。気づくと篝火の炎の色が変わっていた。通常の赤い炎から、琥珀色の炎へと。 「よし、行きましょう!」 サリナが皆に声を掛け、一行は階段を下り始めた。 進めども進めども、先は見えなかった。そもそもきちんと目標に向かって進んでいるのかすら危ぶまれるこの迷宮の中で、さらにいくつもの分岐点があった。それは時には2方向に分かれた階段であり、時には入り口はひとつだが出口がいくつもある石造りの部屋であった。部屋の中には空の棚や風化した本の並ぶ本棚、また木製のテーブルに椅子などがあることが多く、廃屋を思わせた。そんな中、壁に扉がいくつもついているのが滑稽だった。 |